いる。インターンに向けた就職活動がはじまってきたことが原因と考えられる。焦っているとは具体的にいうと、自分のやってることにはっきりした自信が持てていない気がする。
自意識過剰くらいでちょうどいいくらいの業界が志望業界なので、それを自分に言い聞かせてきたが、周りに対して臆している自分に気づく。基本的にびびりなのは知っていたけど、まったく、情けない。
今は、自分のペースを取り戻すことに集中しよう。なんだって、とって食われるわけじゃない。自分なりに学ぶものがあったなら、それが人と違っても、必ず価値のあるもののはずだから。
2010年6月25日金曜日
Time flies
一ヶ月たった。なんと帰国して一カ月も経っている。そこで最近思うことが一つある。
本当にいたんだろうか?
なんだかカナダに自分が一時でも住んだというのが嘘みたいに感じる。よく言う夢でも見てたみたいってこういうことか。カナダに慣れ、毎日の生活をルーティン化し、ここに住んでいるのだ、と現地で感じるには半年かかった。ところが、帰ってきて、日本に帰ってきたんだーと感じるには一週間で足りた。今カナダにいた自分をウソみたいに感じる理由である。やっぱり私の根っこはこっちに生えていたんだなと思う。一時離れても、帰ってきて奇妙な感覚を味わったのは本当に短い期間だった。ただ、だからこそ嘘みたいで終わらせたくないし忘れたくないことがいくつかある。
一つは、いい意味で他人の目を気にしなこと。カナダ人は人がどう思うかについて、いい意味でも悪い意味でも鈍感であった。人前でキスもするし、太ってようがなんだろうが、出したければ露出の高い服も着る。年をとってもダンスを習うし、お構いなしに相手をパーティに誘う。それが100%いい事ばかりであるという訳ではない。ただ、他の人の目線を気にしすぎて自分の気持ちが死んでしまうのは、日本人の悪いところでもあると思う。バランスを大事にしながら、少し自分の欲求に素直になる気持ちを持ち続けたい。
二つは、英語は発音でないということだ。カナダは移民の国である。だから、いろんなアクセントで話す人がたくさんいた。ただ、アクセントはすなわち「下手」ではないのだ。授業中でも、ゆっくり、しかもアクセントたっぷりでも、いわゆる「美しい」英語を話す人はたくさんいた。下に字幕がでていたら、彼らのいわゆるアクセントつきの英語でも、どれだけ美しいかが見えるはずである。英語のうまさはフロウである。それが英語のうまさを決めている。発音は最後に行う手直しであり、いちばん重要でないとまず気付かせてくれたのは、英語の先生だった。日本では、発音のきれいさ(日本語の強いアクセント)=流暢さ(下手) であると勘違いしている人がたくさんいるし、実際私もそうだった。しかし、今なら違うと言い切れるし、今自分が少なくとも英語という言語の範囲内では、向上に向けてどのように努力を続けるべきかも見えた。
三つは、世界にはたくさん優秀な人がいるということだ。マギル大学には、いわゆる天才、がやはり結構いた。そして、そんな環境での勉強は非常に刺激的だった。できないこともたくさんあったけど、そこで戦ってなんとか生き抜いた自分にかなりの自信を持って帰ってきた。就職活動中も、周りに気圧されず、この自信を忘れないようにしたい(さもないと途中でつぶされそうな気がしている。予感だけど。)し、将来あんな化け物達とたたかう可能性があることは、常に頭にいれておこう。
本当にいたんだろうか?
なんだかカナダに自分が一時でも住んだというのが嘘みたいに感じる。よく言う夢でも見てたみたいってこういうことか。カナダに慣れ、毎日の生活をルーティン化し、ここに住んでいるのだ、と現地で感じるには半年かかった。ところが、帰ってきて、日本に帰ってきたんだーと感じるには一週間で足りた。今カナダにいた自分をウソみたいに感じる理由である。やっぱり私の根っこはこっちに生えていたんだなと思う。一時離れても、帰ってきて奇妙な感覚を味わったのは本当に短い期間だった。ただ、だからこそ嘘みたいで終わらせたくないし忘れたくないことがいくつかある。
一つは、いい意味で他人の目を気にしなこと。カナダ人は人がどう思うかについて、いい意味でも悪い意味でも鈍感であった。人前でキスもするし、太ってようがなんだろうが、出したければ露出の高い服も着る。年をとってもダンスを習うし、お構いなしに相手をパーティに誘う。それが100%いい事ばかりであるという訳ではない。ただ、他の人の目線を気にしすぎて自分の気持ちが死んでしまうのは、日本人の悪いところでもあると思う。バランスを大事にしながら、少し自分の欲求に素直になる気持ちを持ち続けたい。
二つは、英語は発音でないということだ。カナダは移民の国である。だから、いろんなアクセントで話す人がたくさんいた。ただ、アクセントはすなわち「下手」ではないのだ。授業中でも、ゆっくり、しかもアクセントたっぷりでも、いわゆる「美しい」英語を話す人はたくさんいた。下に字幕がでていたら、彼らのいわゆるアクセントつきの英語でも、どれだけ美しいかが見えるはずである。英語のうまさはフロウである。それが英語のうまさを決めている。発音は最後に行う手直しであり、いちばん重要でないとまず気付かせてくれたのは、英語の先生だった。日本では、発音のきれいさ(日本語の強いアクセント)=流暢さ(下手) であると勘違いしている人がたくさんいるし、実際私もそうだった。しかし、今なら違うと言い切れるし、今自分が少なくとも英語という言語の範囲内では、向上に向けてどのように努力を続けるべきかも見えた。
三つは、世界にはたくさん優秀な人がいるということだ。マギル大学には、いわゆる天才、がやはり結構いた。そして、そんな環境での勉強は非常に刺激的だった。できないこともたくさんあったけど、そこで戦ってなんとか生き抜いた自分にかなりの自信を持って帰ってきた。就職活動中も、周りに気圧されず、この自信を忘れないようにしたい(さもないと途中でつぶされそうな気がしている。予感だけど。)し、将来あんな化け物達とたたかう可能性があることは、常に頭にいれておこう。
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