2009年12月29日火曜日

帰ってきたら雪国でした

実は先日アメリカに一人旅に行ってきた。モントリオールからバスでボストンへ下り、ニューヨーク、ワシントン、フィラデルフィアというように、右から左へと移動した。奇跡的に期末テストがひとつもなかったので、長い休みだったためと、友人が皆期末テストで遊べないからなどなど、理由は色々あったが、とりあえず一人でじっくり自分と向き合う時間もほしかった。

しかし、初めての一人旅は冒険である。行く前はかなりびびっていた。しかし、旅先で出会った人々のことは忘れられない。英語が話せてよかったと、ここにきて初めて実感した気がする。
ボストンは非常に古い町だった。港の景色も美しく、大学が多い学生の町でもある。ハーバードビジネススクールにもぐりこんだ後、フリーダムトレイルを辿り、ああ、アメリカ史勉強しとけばよかったと少し悔いた。

ニューヨークは一変して大都会である。無理に冒険してえらい郊外で迷子になったことを除けば、動きやすい町であった。私の滞在中にタイムスクエアで殺人事件があったらしいが。とんでもなく寒いホステルでであった女の子とクリスマスツリーも見に行った。
ワシントンはまさにゴーストタウンだった。人通りもなく、店は5時に閉まる。日曜日に訪ねた私が悪いが、やはり政治の中心かつ計画都市といった感じがした。しかし、本でしか見たことのない名画にたくさん出会うことができた。

フィラデルフィアでは古い友人にたくさん会うことができた。彼らもまた忙しいであろうに、無理して時間をつくってくれたことに感謝したい。フィラデルフィアはどこかしらモントリオールににている。見所がたくさんあるにもかかわらず、目を引いたのはKOREAN WAR MEMORIALだった。というのは、これに対するアメリカ視点をはじめて見た様な気がしたからかもしれない。
つらつらと書いたが、やはり一人旅をするならホステルは最適の場所である。ここで知り合った人々や、一緒に過ごした時間はきっと私の人生の財産だ。しかしまた同時に、訪ねる友人がいるのは、疑いようもなく素晴らしいことである。

やりのこしたことはたくさんあった。それは次回のための言い訳にとっておくことにする。

フィラデルフィアからはフライトで帰ってきたが、モントリオールに降り立ったとたん、あたりは銀世界だった。30cmの雪、雪。まさにこいつが私を一気に現実に引き戻したといった感じだった。

2009年12月6日日曜日

ななめに見てみる

今日日本人の友達とお茶にいった。彼女はもう日本へ帰ってしまうのだが、彼女の話から思ったことがある。

彼女はここでの生活が本当に楽しくて、帰るのが嫌だという。話を聞いていると、何もかも円満円満、本当に苦労とは程遠い生活を送ってきたようだった。自分の苦労を照らしてみて、ああ、いいなあと羨ましく思った。

が、はたと思いとどまる。本当にこんな円満だらけの留学生活があるだろうか。彼女の話が嘘だと言っているのではない。彼女は、やはり人並みの苦労を経験した留学生活だったはずだ。では、決定的な違いは何か。

やはりそれは、気の持ちようではないかと思う。何もかも、彼女は前向きに捕らえることができるのだ。それが彼女の天性のものかどうかははっきりしない。が、少なくとも、私はここで学ばなければいけないだろう。暗い部分を無視するでなく、ほんの少しだけ明るいところを前に押し出すだけで、同じものが違った角度から見えるに違いない。

となるとなんだか抽象的だが、正直どう表現していいかわからん。ただ、彼女の話し方から学んだことは多い。

2009年12月2日水曜日

Group work

たもはグループワークが嫌いである。基本的に個人主義なのに加え、ここのグループワークの仕方が気に食わない。ここのグループワークは、適当に配当して個人でリサーチ、最後に合体というかたちをとることが多く、頭と尻尾でいっていることがばらばらということも少なくない。しかも前述のとおりディスカッションになるとついていけん。

あるチームは大変私に気を使ってくれ、逆に発言しにくく、あるチームはまったくほっとかれるためついていけない。うーん、バランスっていうのは難しい。ただ、ひとつのチームは、全員留学生であるため(交換留学は私だけだが)比較的発言しやすく、なんだか貢献できてる感じが、他のグループワークより得ることができる。私の意見も聞いてくれ、気に入らなかったら反抗もしてくれる。やっぱり、こういうのが理想だろうか、と思う。

明日そのチームのプレゼンテーションをもって、すべてのグループプロジェクトは終了し、同時に私の最初の学期も幕を閉じる。たとえ観客にぼこぼこにされても、とりあえずやることはやった。

2009年11月30日月曜日

休日

私に、休日なるものは存在しなかった。プロジェクトやらミーティングやらで忙しすぎたのだ。しかし、今日私は何をしただろう。

朝9時ごろ起きて、だらだらとパソコンをいじり、午後も友達が約束を延期して結局だらだら。しいて言うなら散歩がてら3駅分歩いて薬局でシャンプーを買った。うーんスローライフだな、と思ってはたと思いとどまった。「予定がない日」を持ったのは、ここにきて今日が初めてだ。いつも何かに追われていきていたように思う。ぼやぼやしてる暇は一ミリもなかった。(たものスケジュール帳は真っ黒黒である)

これを充実と呼ぶか、激務と呼ぶかはたも次第だが、何もすることがない留学生活よりは幾分ましかと思う。もう一学期が終わろうとしているけれど、学んだことは多すぎて数えられない。自分が嫌いになった回数も数えられないが。

2009年11月29日日曜日

お別れ

私は1月にこのアパートをでていく。そして、ルームメイトの二人が一足先の12月に他のアパートに引っ越すことになった。

このアパートでは、本当にたくさんのトラブルがあった。追い出されたり、騒音に悩まされたり。しかし、人との出会いをくれたことも確かだった。私たち4人で最後の晩御飯をいっしょにつくり、(親子丼・・・)4時間近く一緒に話して、時間もたつのも忘れた。こんなにいい人たちに出会ったのも、やっぱり運だろうか。最後に皆でハグした時、さみしくて思わず涙がでそうになった。

きっと人生は、プラスマイナスで0になるようにできとるな、と感じる。バイオリズムがあるというのもそのゆえんに違いない。わたしもすぐここを離れてしまうけど、また懐かしく感じるときがくるだろうか。

2009年11月27日金曜日

プレゼンテーション

Managementはプレゼンテーションが多い学部である。京大のことを思うと、はるかに多い。1学期で7回のプレゼンテーションを経験した(実はまだひとつ残っているのだが)。先ほどBrand Managementのプレゼンテーションを終えてきたのだけど、やはり質問を取るのは難しい。Audienceの英語が100%理解できないために、返答に自信がもてなくなる。只今自己嫌悪真っ只中。


実は初めてマギル大学でプレゼンテーションをしたとき、京大でも英語のプレゼンテーションを経験したにもかかわらず、全く言葉がでてこなかった。おそらく、ネイティブスピーカーの前でのプレゼンテーションは、私の英語に対する自信不足を抉ったんだろう。また、彼らのプレゼンスキルは、日本の大学が求めているものと全く違う。私がゼミで強調されたのは、スライドをファンシーにするより、コンテンツ重視、スライドにはできるだけたくさんの情報を載せること、だった。情報の伝達、が最優先されていたのだ。しかし、こちらのスタンスでは、どれだけ観客を説得できるか、ということに重点が置かれていたように思う。スライドに情報は最低限のせ、スピーカーはパフォーマーのように話す。またPPTも、映画の次回予告かと思うようなグラフィックを用いる。(教授は、そのようなすべての要素を成績に反映すると最初に言い放った)

そんな違いと自信不足に、おたおたしていたものの、進歩もあった。たとえば今日のプレゼンテーションでは、質問はまったく取れなかったが(本当にグループに申し訳ないのだけど)自分のパートはこなして見せた。前回のSecond Progress Presentationで自分を失ったことを思えば、進歩、進歩。誰がなんと言おうと、たもはとりあえず一度に多くを期待することはやめる。が、今にみておけ、と密かに思っている。

2009年11月25日水曜日

家探し

家を探すのは大変だ。こっちにきて、私の悩みの89%程度を占めていたのは家探しである。カナダに不動産屋なるものは存在せず、いちから自分で探すことになる。主にインターネットとgoogle mapを駆使して、大家に電話をかけ、アポイントメントにこじつけ、地図を見ながら訪問、中をチェック、条件を交渉、契約書にサイン、move in といった感じである。これがいかほど大変なことか。
まずカナダについて何も知らんたもは、相場がわからない。また、日本人は大変なめられるので、大家はいつも強気である。こっちに来て、ゆうに30はアポをとって見に行った。まずカナダに到着したとき、アパートを追い出されたとき、そして、今のアパートが気に入らないと気づいたとき、計三回のアパートサーチラッシュを経験した。1月に新しく契約したアパートに移る予定である。

時間を無駄にしていると悩んだこともある。しかし、同時に学んだことも確かにある。まず、将来いきなり、「来月からアメリカに住め」とか、「ドイツへ飛べ」いわれても、生活はともかくとして家を探すことはできるような気がする(ほんまかいな)。なんというか、まったく新しい環境における、まずしなければいけないこと、に対する基本的な力を学べたと信じている。
また、交渉スキルを磨くいい機会でもあった。はじめは強気の大家にただおたおたするだけだったが、まずしなければいけないことが身についてきた。はじめに、自分が相手に興味があることを示すのは大変有効である。特にアパートの場合、相手は何人もの訪問客を抱えている。契約が取れそうもない相手に無駄な時間はさきたくない、と思うのは当然である。まず、自分がこの物件に大変興味があることをくどいほど見せ、そして交渉へ足を運ばなければならない。妥協が引き出しやすくなるだけでなく、興味があることを理由に物件をくまなく見やすくなる(たもはよく冷蔵庫の引き出しまであけた)。
これは物件だけでなく、将来のビジネスにも役立つものを持っていると思う。結局ビジネスは妥協と交渉のかたまりなのだから。
ただ、次の家がいい家ならいいな。と思う。いくらいい経験でも、もう私には十分だと思うので。

2009年11月22日日曜日

今更に英語

たもはここに英語を勉強しに来たわけではない。うまくなればよいと思ったが、ビジネスの勉強をしっかりできたらいいなと思って、マギル大学を選んだ。しかし、やはりカナダ人の英語はとんでもなく早く、ついていくのは大変で、必要性はひしひしと感じている。

一対一のコミュニケーションに問題はなくなってきた。しかし、グループになると話は別である。特にグループプロジェクトは何をやっているのかいまだにわからない。

しかし、最近やはり英語を浴び続けているせいもあって、今まで単語を拾って聞いてきた英語が、急にフロウとして頭にはいってきた。本当に突然だった。そうすると、グループメンバーの言っていることの矛盾やらにも気づき始める。

うん、なかなか進歩。と思いきや、スピーキングはリスニングに追いつかない。となるとストレスがたまるものである。ああああ~何いってんねん!!と思っても、なんでやねん!と英語でいえないのはつらいことだ。ちょっとまってーや!といえたらいいのだけど、なかなか難しい。

妥協だらけでほんとに納得いかないけれど、これも経験か。完璧を目指すのはとりあえずあきらめた。たもはたものペースでやろう。それが例え留学終了までに達成されずとも、それはそれで得るものがあるはずだ。できることを全部やったなら。

2009年11月15日日曜日

ぽじてぃぶしんきんぐ

自分はカナダに来て、本当にネガティブな性格だと改めて気づいた。先のことをとにかく心配してしまう。そして今かたづけなければいけないことに集中出来ない。もっと単純思考が必要なんだと思う。いい意味で、目の前のことしかみえないようになればいいと思う。

とにかくtake it easyは今に限り私のためにある。絶対やらないといけないことなんて、ほんとはないはずなんだから。

2009年11月14日土曜日

マギルのスタッフ

わたしはカナダ人がきらいである。とこっちにきて思っている。とにかく彼らはフランス語speaker であることを誇りに思っているのか、私が英語で話すとはあ?という顔をする。もしくはもともと彼らが外国人に対して偏見があるだけか。カナダが移民の国であることを考えても、おかしな話である。

加えて、カナダのサービスはひどすぎる。客とかそういう概念は存在しない。日本のサービスの質を、カナダに来てはじめて思い知る。それを如実に思うのが、マギルのスタッフの対応を見ているときで、とにかく冷たくひどいと思う。時間外の仕事は死んでもしない。一分だって余分に働かない。笑顔を浮かべながらしゃべるなんて、エネルギーの使うことはしない。徐々に人間不信になっていく中で、気持ちもアパート探しで落ち込みがち(後述)、課題とプレゼンと一日50ページ近いreading に病まされる中、あーはよ帰りたいな~と本気で思っていた。

そんな中、一人の教授がお茶に招待してくれた。彼女は、私がとっているCross cultural managementの先生で、私がそのクラスで一人の交換留学生だったこともあり、よく気にかけてくれていた。今、気持ちが落ち込んでいるんです、と話すと、お茶を飲みながら、親身に話を聞いてくれた。とりとめもない話だったが、ここまでマギルの教員にしてもらったのは、正直初めてである。「いつでも助けになる」というのはいとも簡単で、本当に助けが必要でも、Lunch breakにはこないでくれ、というのがこちらのスタイルである。そんな中、彼女は私のことを気にかけてくれているんだな、と感じることができ、安心、を感じることができた。

人からの対応、その中の優しさって本当に大切だ。とくに気持ちが弱くなるとそれを強く実感する。言ってしまえばなんでもないことだけど、芯からそれを学べただけでも来たかいはあったか。

2009年11月8日日曜日

マギルの授業

今更ながら、ここの授業形態について書いておきたいと思う。マギルは、社会学系が強い大学である。というのは教授からも聞いていて、それも選んだ理由のひとつだったのだけど、やっぱり授業を受けていて、ああ~実践ってこういうもんか、というように感じる。京大の授業はもっと概念とか、バックグラウンドとかに集中した授業だった(少なくとも私の学部は)。それはそれで私は面白いと感じたのだけど、こちらの授業は、じゃあそれを社会でどう使うねん、という教え方だ。

え~じゃあ素晴らしいやん、と思いがちだが、何が大変かって、とにかく重たい。まず授業は必ずといっていいほど少人数(20~40人)で、円形に座らせ、自分のname plateを机の前におき、先生は名指しでばすばす質問してくる。授業にフォーマットは大抵存在せず、ずばずばとディスカッションで進行していく。どの授業もgroup projectなるものが存在し、週末はミーティングで消滅する。山のようなプレゼンテーションには皆スーツで参加し、(日本で私はパーカー、ジーンズでやっていたのに)加えてレポートがどかどか出て、中間期末テストがあることを考えると、一日は矢のように飛び過ぎる。

これがカナダスタイルか、と思えば、実はそうではないらしい。違う学部で勉強している交換留学生は、readingが多いことを除いて、日本と大差ない大人数の授業だと教えてくれた。

ここに来てどうしてmanagementのTOEFLが他の学部より高いスコアを要求していることに気づいた。そもそも経営というものはインターフェイスと実践を本質とするのであるし、要は話してなんぼ、使えてなんぼの学問なのだ。教授は、概念を元に、「ではどうやってお金を生むのか」を生徒に叩き込んでいる。どうやって会社にアピールするのか、自分が雇うに価値ある人材だと、どうやって知らしめるのか、を教えてくれる。

自分がタフな学部に来たことを嘆くか、これを絶好の機会とするかは気持ちの持ちようか。今はそんなことを考える余裕はないのだけれど。

2009年11月3日火曜日

はろうぃん

まだシリアスなホームシックにかかっている中、友達とWestMountという高級住宅街を訪ねた。というのは、そこで家という家が、ハロウィンのデコレーションをしているためだ。実際行ってみて、どこかのテーマーパークかと思うほど、入り口にかぼちゃのカーヴィングを置いたり、ミイラを飾ったりという家が多い。そうこうしていると、子供の仮装集団に出くわし、Trick or treat! を生ではじめてみる。(デコレーションをしている家はキャンディを置いているという目印らしい)毎年のことのようで、慣れた手つきで子供にキャンディを配っていた。こういうことができるのは、まだ地域にちゃんとコミュニティがあり、隣に誰が住んでいるか知っているからなんだろうな。

2009年10月17日土曜日

ホームシック

生まれて初めてホームシックを経験している。なんだか子供っぽいと自分でも思うけど、単純に見慣れた町の風景、学校の学食も恋しい。おそらく騒音で2、3寝不足なのと、中間テストで参っているからだと思う。
ホームシックというものにかかる機会は、正直今までなかった。長期間家を離れることはあったけど、これほど日本から離れたことはなかった。まさに地球の裏側。ああ、こういうのを、ホームシックと呼ぶのか、と実感した。
だれか留学生の友達が、二ヶ月位したら自分が何をしてるか急にわからなくなるよ、と教えてくれたことを思い出した。そうか、彼もこんな気持ちだったのかな、と今更になって思い、それを乗り越えた彼を尊敬する。多分先を見すぎて、それが遠すぎてかすんでいるから、不安に思うのかもしれない。
とりあえず目の前にあることから、どかしていくことにする。そう、とりあえずは日曜締め切りのレポートをしよう。

2009年10月9日金曜日

Fire alarm

今日(正確には昨日)、学校で授業を受けていたときに、ふいにサイレンが。しかも日本とは比べ物にならないほどの大音量で。

サイレンにはアパートの経験で(前述)いい思い出がないだけに、ぎゃーっと思っていたら、みんな早々と荷物をたたんで、消防隊に外に誘導された。またか!?そうこうするうちに、消防車がスライディングの勢いで走りこんできて、ばたばたと担架があらわれた。おいおいおい!!

スピーカーをもった消防隊が、おもむろに指示を出すかとおもいきや、緊急時に消防車が通るスペースの大切さを力説。・・・どうやら訓練だったようだ。

訓練ならそういってくれないと、というか言ってしまったら意味がないのは理解できるんだけど、消防隊員の迫真の演技のせいでかなり怖い思いをした。

2009年10月4日日曜日

中秋

今日は中国のthanks giving dayらしい。約一ヶ月前の恐怖のホームレス生活を経て、例のアパートに戻ってすんでいるのだけど、あの恐怖の経験から得たものもある。一緒に政府のホテルに飛ばされた2人のアメリカ人とカナダ人と仲良くなることができた。三人とも何日か夜をともにしたのだけど、本当に数奇な縁だと思った。二人はアメリカ人とカナダ人だが、中華系であるため中秋を祝うようだ。

という訳で、三人でチャイナタウンにでかけた。チャイナタウンといっても、モントリオールのチャイナタウンは小さく、タウンと言うよりストリートだ。ただここでなぜか日韓の食材をみつけることもできる。(カナダ人にとっては日本も韓国中国も一緒?)

カナダで初めてレストランに入り、ビュッフェを食べたのだけど、私が取ったものを残さず食べているのを見て、非常に感心された。私にとっては非常に意外な反応だったのだけど、よく見ると二人はとった物の半分ほどしか食べず、次をとりにいってしまうようだ。どうやら周りを見ても、これがこちらのビュッフェスタイルか。もったいないと感じるのは私が日本人だからかそれとも私の性格のせいなんだろうか。

色々話しているうちに気づけば何時間もレストランにいて、驚いたけれど本当に楽しい一日だった。カナダのこと、アメリカのこと、大学生の生活等々、普段の授業で得られない知識に触れることができた。彼女たちに、本当に感謝したいし、この縁を大切にしたい。

2009年9月24日木曜日

カナダは高い

はじめに感じた感覚が時間とともに失われてしまわないように書き留めておこうと決めた。
カナダは、物価が高い。高いということは前からチョコチョコ聞いていたし、それなりの覚悟をしていたのだが、やはり、高い。特にレストランは非常に高いだろう。日本と同じくらいのものを平気で1.5倍程度の値段で売るし、チップが当たり前のカナダでは、それも計算に入れるとなると学生にはえらい出費だ。
しかし、待てよ、と思う。食料品となると非常に安い。基本的に肉は安い。分厚いステーキ肉は100円前後で買うことができるし、こぶし大ほどありそうな手羽先は5本で200円かからない。また、野菜も果物も日本と比べると安いだろう。しかも、みんな化け物サイズである。卵がえらい高いことを除いて、税金は食料品にはかからないことも考えると、自炊するならかなりの出費は抑えられるだろう。
また、衣料品も副食品も、買い物天国といわれるモントリオールだけあって、比較的安い。とくに、アメリカのブランドなどはかなり手ごろに手に入るのではないかと思う。

基本的にはすごし方かと思う。英語圏でカナダは一番安い国のひとつであるし(英語圏をアメリカ、英国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアと絞るなら)モントリオールはカナダの中でも物価が安い町だ。それが多くの学生をよんだ理由のひとつであるのは間違いない。

2009年9月18日金曜日

アジア人

こっちにきてから、徐々に気づいてきたことがある。自分が、確かにアジア人という括りの中にいるということ。
自分が日本の大学にいたときは、国際交流のクラブに所属し、そこそこどの国の人とも仲良くできていると思っていた。なのに、こっちにきて、改めて周りを見渡すと、圧倒的にアジア人のほうが話しかけやすいのはなぜだろう。話している言語は英語であるし、向こうは見かけはアジアでもカナダやアメリカ出身がほとんどなので、根本的にはいわゆる見かけもなにもかも「欧米」なカナダ人と話すのと大差ないはず。なのだが。
と、こんなことを考えているうちに、冷静に思い返してみると、やはり日本の大学で知り合って、本当に仲良くなれた留学生はアジア人が圧倒的に多かったことに気づく。私の中にある人種としての何かが働きかけているのだろうか。
なんにせよ、これはきっと絶好の機会にしよう。たもはアジアからしばし出ているのだから。

2009年9月11日金曜日

ホームレス

ブログって言うものは日記なんだし、留学記なら特に出発直前とか到着直後の話を特にしておくのが大切だと思うのだけれど、忙しすぎてそれどころじゃなかった。本当に。書きたいことはたくさんできたけど、それは順を追ってあとから書き留めることにして、今はまさに今現在私がいる状況を書きたいと思う。
今、私はホームレスだ。
カナダについてから、日本ですらしたことがない家探しを必死でやって、やっとみつけたアパート。そして、初めてそのアパートですごした一晩。いろいろ苦労して、食べることもままならなかったけど、授業も始まり、やっとすべてが動き始めるのだと思った。ところが。
日本人同士の集まりに参加し、初めてカナダでパーティーにでれた。ピザを囲むだけのささやかなものだったけど、ずっと一人ぼっちで家探しをしていた私には本当に楽しくて、久しぶりにいっぱい話ができた。そんな帰り道、同じアパートに住む日本人の女の子から電話があった。「アパートが違法建築で、警察の立ち入り検査が入ってるらしい。アパートが閉鎖されるから、みんな中に入れなくなる。」
どういうこと?とにかく早くつくように言われたので、あわててアパートに帰ると、そこには人だかり。地元のメディア。消防隊、そして警察。入り口には厳重なチェーンロック。警察の人との付き添いで部屋にあるものをまとめて外に出るように言われた。いったい何が起こったのか。まったく理解できない。言われるがまま持てるだけのものを持って、外に出た。そのまま警察の人にホテルに連れて行かれて、今、ここにいる。4日ホテルを提供するが、その後は面倒を見れないとのこと。
人は留学というものを経験するとき、様々な困難にぶつかるだろう。しかし、断言しよう、ここまでの困難波乱は滅多にないはずだ。ましてや大学協定の交換留学に。私の学校はどうなるの?私はどこにいったらいいの?
私は一人でここに来た。カナダという国に、知人はいない。なぜ、私はそんな環境で放り出されたのか。警察の車の中で夜中の12時、ホテル送迎の順番を待っていたとき、あまりの理不尽さ、不安に、ひとりでに涙が出た。そんな私を見て、ドイツ人の女の子がゆっくりと私に歩み寄り隣に座り、話しかけてくれた。何のとりとめもない、彼女が知っている日本のお菓子の話だった。うつむいて話を聞く私に、彼女は淡々と、しかし時折楽しげな雰囲気を交えながら、私の単調な相槌にも気を止めずに話し続けた。こういう環境、状況で、人の優しさって本当に暖かいと思った。私は彼女を知らないけれど、彼女は今私を心配してくれているんだと思って、だれも私のことを知らないこの国で、私のことを心配してくれる人がいるんだと思って、締め付けられるような、本当に言葉にできない気持ちになった。
これから私がどうなるのか、私にはわからない。でも、今はただ前向きに、事の成り行きを待つしかないのだろう。

2009年8月3日月曜日

Scholarship!!

今日、給付奨学金をもらえることが判明しました。正直、まだ信じられません。額は正確にはいえませんが、親に迷惑をかけず留学できるくらいです。金銭面で、ずっと留学に当たって親に迷惑をかけることを心苦しく思い、バイトに励んでいた大学生活でした。

ほんとに良かった。でも、投資を受けたのだと思って、しっかり勉強してこないと。気の引き締まる感じってきっとこういう感じでしょうね。

2009年8月2日日曜日

あと三週間

なんと出発まであと三週間になりました。ここにくるとどうしても大観より細かいことのほうがきにかかります。コンタクトレンズどうしよーとか。目下気になるのは家探しは、将来海外に住む可能性を考えると、こんな経験も後々大切なのかなと思います。けど不安は尽きないです。

思ってみれば、大阪で生まれて、大阪で育って、まったくここから離れたことの無い人生を生きてきました。これからくる一年間で、何回泣かされるか(笑)分からないけど、きっと+-で+になるような留学にしたいな~と・・・今だから思えます。一ヵ月後自分がどんなことを言うのか楽しみです。