2014年1月8日水曜日

ぱりぱり

人生上初めてくらいの比較的大きい病気をした。
自分は大丈夫と思っても、やっぱり思い出すべきは自分は20そこそこの若造でそれなりに繊細な女性だったということだろうか。。


同時に、周りの人の温かい(そして時折甘すぎる)気遣いや気遣いや気遣いに気づき、自分はやっぱり恵まれているなあと思った。


今日会社に一度顔を出す際にパリッとしたスーツに腕を通すと、急にしゃきっとした。あんなに手を出すのが億劫だったパソコンや電子機器に自然に手が伸びる辺り、私もすっかり会社人なんだなーなんて思ったりした。



ただ、自分には逃げる場所があることも、そこを新しく確保する力があることも、自己暗示のように唱えておくことにしよう。。それがはったりでも幻想でも、そうすることで少しでも気持ちが軽くなるんやったら、今くらいばちは当たらないと思う。

2013年9月28日土曜日

次の半年

入社をして1年と半年程度が経った。良くも悪くもずっとプロジェクトに入れてもらっていたので、まとまって休みを取るのはめっちゃ久しぶり。ばたばたと、時間が過ぎてしまってるけど、そんな中で生活を楽しむ余裕も少しだけで来てきた(気がする)。次のプロジェクトももう決まっているから、また忙しい日々に帰っていくには間違いないのだけど、できれば、次の半年は次のことをしたい


1)キャリアの長期的な可能性をもっと考えること
今の仕事は楽しいけど、それは他の可能性を考えない理由にはならない。長期的に自分がしたいと思っていうる軸にあう機会がないのかどうか、ちゃんと時間を取って考えることを始めよう。


2)勉強をしっかりすること
MBAの勉強もそろそろ本格的にはじめる必要がある。とりあえず、年内に受けるテストは受け始めよう。また、世の中の人が読んでいる本を、バカにせずにしっかりと読むこともはじめよう


宣言することは少しは自分を追い込むことになるだろうから、とりあえずつぶやいておこう。


2013年9月1日日曜日

東京にて再会

子供の頃、絶対に漫画家になりたいと思っていた。絵が好きな母の影響は強かったが、何よりもセーラームーンへの憧れが大きかった。

そこには女の子の夢の凝縮があり、幼稚園の頃から私の憧れの女性の集合だったと思う。そして、そんな彼女たちを生み出した彼女(作家)は、今の身長の半分ほどしかなかったころから私のなかでかなり神様に近い存在だった。いつか自分は作家の武内さんのような漫画家になるのだ、と疑いもなく信じていた。

今日たまたま、日経関連の雑誌を読んだときに、彼女のインタビュー(10年ぶりらしい!)が載っていた。そしてなんと、彼女は当時、20代だったのだと、始めて気がついた。いつの間にか、私は彼女の年齢に追いついていたのだ。

彼女は私の今の歳で、日本中の少女にあんなに大きな夢を与えたんだ、と思うとなんだか肌にぶつぶつがでるくらい鳥肌が立った。しかし、よくよく読んでみると、そこには彼女が頭が固い編集長とどれ程戦ったのか、ヒーローのタキシード仮面はたもの家から歩いて10分程度の六本木の客引きホステスがモデルだった等々、今だからわかることがつらつらと描かれていた。

私は漫画家にはなれなかった。だけど、こんな形で昔の神様に再会するなんて、なんだかとっても、嬉しい。彼女も人並みに努力し、もんもんと悩みながら生きていたのだ、という当たり前のことに気がつけて、本当によかった。

もし娘ができたら、絶対セーラームーンを読ませると(勝手に)決めている。どうか将来の旦那が、漫画が教育に悪いなんていう頭の固いやつでないことを祈る。




2013年5月19日日曜日

上海その後

現在上海に来ている。仕事で来ているのだけど、上海は中国留学以来の2年ぶりだ。さすがに北京ではあっても住んでいただけあって、全くの外国、という気分はそこにはない。一つ一つの非日本的現象に、驚くこともない。

中国には何回も来ている。そして、その度に新聞やニュースで騒がれている事象のミニチュアを見ることになる。最初に来たのは2007年春、高校三年生のときだった。その時の中国を一言で形容するならば汚。トイレなどデパートでも入れたものではなかったし、公共交通機関はカオス、英語を話す人はほとんど存在せず、そして(少なくとも私には)全員詐欺師に見え、刺激と恐怖を味わうことになった。同年夏にもプログラムで訪中し、3回目に訪れたのは4年後となる2011年の夏。そこで目の当たりにしたのは全く違う国だった。

道路は整備され、何よりも街は「整理」され、大きなビルや、行き交う外国のビジネスマンや、そこには、この4年の経済成長が反映されていた。こんなスピードで成長を遂げた国が他にあるだろうか。そこには、もはや以前の面影はなく、むしろ昔を懐かしむことさえ許されないと感じるほどであった。紙面で報じられた中国の成長が、目の前で体現されていた。

一方今回の訪問である。以前から2年がたち、いかほどに何が変わっているかと思えば、そこにはそのままの中国があった。ビルはビルのまま、市場や、行き交う人々、そこには、以前とほぼ姿を変えないままの中国があった。きっと1日2日で感じることができない部分で変化はきっとあるのだろう。しかしながら、以前の勢いはそこにないか。

中国が徐々に日本の経済レベルに近づくにつれ、少し寂しさも感じるものの、ビジネスの熱気は未だ健在である。世界中からチャンスを求めて人が集まるこの場所は、やはり幾分前向きで、来る人にモチベーションを与えてくれる。





2013年4月14日日曜日

花金には会社の人とは飲まないのです。

今日中学の後輩に会う機会があった。彼女が東京に就職ででてきたために、久しぶりの再開となった。相変わらずのたたずまいや話し方にほっとすると同時に、お互いにおおきくなったなあと感じざるを得なかった。

話題は自然と仕事の話になった。そうして話しているときに、気づくことがある。休日は、できるだけ会社の人に会わないほうがいい。そういってみて、何でだろう、と改めて考えてみた。平日死ぬほどあっているから。まあ、そうだろう。それは理由の一つには違いないと思う。でも自分で話していて、成るほど、と納得できた理由が自然に出てきた。

「価値観が狭くなるから」

言ってしまえば当たり前なのだけど、そこには沢山の意味がある。気がついたら社内言語で話してしまっている自分に気持ち悪さを感じるのと同じくらい、そこには落とし穴がある。会社、という空間にはそのそれぞれの会社に独特の価値判断基準が存在する。そして、そこから漏れる人、その基準とずれる人、その基準に届かない人、行動は、否定され、そうでなくても、ものさしに合わない自分が自分を否定してしまいがちだ。ただし、その基準は、会社の外に出ると、はたまた、仕事、という概念を越えると、それは全く意味を成さなくなることが多い。それを、日々忘れそうになっていないだろうか。それは、仕事だけとは限らない。きっと少なからず、人は自分の属する世界の価値観に縛られ、たまにちょっと落ち込むのだ。

以前シンガポールの友達に、your job doesn't define who you are といわれたことがある。それが、当時の私をどれ程勇気付けただろうか。私の価値は、きっと仕事と離れたところにも存在する。そして、そこは100%の私に対して、切り捨てられるほど小さい部分でないと信じたい。そういった当たり前のことに気づくには、やはりその閉じられた世界の外の人に会う必要がある。

仕事が一回りしたからこそ、そんなことの大切さは忘れずにいよう。それを刺激、と人は呼ぶかもしれないけど、私は回帰だと思う。そうやって落ち着いて自分を見る時間が、今後きっと今以上に大切になるはずだから。






2013年3月20日水曜日

将来はあんぱんまんになりたかったのですが

大きくなったら何になりたいのだろう。

と小さいときは良く考えた気がする。大人に良く聞かれるからというのは正直な理由ではあるのだけれど、どうなりたいのかなーと考えていた。

じゃあ今、私がしていることはその延長線上にあるのか、といわれると、なんだかよくわからない。目の前のボールを打ち返していたら、ここにたどり着いた。なるべく良い成績を、できるだけ良い高校へ、できるだけ良い大学へ。そして、今。

そこに夢はあったのか、といわれると、素直にうなずけない。毎日、学びは多いし、短期的な目標はある。ただ、その先に何があるのか、といわれると、正直わからない。


こんなことでよいのかと自分をしかってやりたくもある。ゆっくりと形成されていくべき未来図が、ぎゅっと立て付けのようにつくられた気がしてならない。偏差値教育の日本の弊害かもしれないのだけど。


2013年2月11日月曜日

1年経ってみて

気がつけば東京就職で1年が経とうとしている。時間が流れるのは早いなあと思う。本当に。今のプロジェクトが終わるころには、新しい社員を迎えることになるんだろう。

1年でものの考え方が変わったかどうかはわからないけど、いろんなことが当たり前になってきている自分にも気がつく。一人の家に帰ることの当たり前、毎日朝早く起きることの当たり前、時々おこる「なんでやねん」に対する当たり前。


社会人になって一年経つと違う景色が見えたりすると聞くけど、本当にそうなんだろうか。今年(去年)は目の前の玉をひたすら打ち返してばかりだったけど、今年はもう少し自分の勉強もしてみたい。言うは易しで結局だらだらと2年目もすごしてしまう気がしないでもないので、回りにつぶやくことから始めてみよう。