2011年11月29日火曜日

北京の病院に関して

少し書いてみる。

前述の通り、バイクと事故ったため数回病院に通うことになった。まさか北京で病院に行くなんて思ってなかったけど、折角の機会なので書いておこう。

私がお世話になったのは北京の中では結構大きい部類の総合病院である。その中の国際医療部というところに通った。そこで気づいたことがある。国際医療部といっても、受付が英語対応なだけで、見てくれる場所は中国人と共同である。ついた途端にうわーめっちゃ人おる。かなり待たないとあかんなーと思った。しかし、受付の人はおもむろに私のカルテを掴むと、座って待っている人々を横目にさっさと私をお医者さんのもとへ連れていった。どういうこと??

聞いたことがある。外国人対応の窓口がある部門は、治療が同じでも中国人のそれに比べかなり割高なのだ。私は保険会社がすべて支払ったが、私のそれもそういった高額請求の類に違いない。そして追加的にそういった代金を支払うことで、優先的に案内してもらうことができるのだ。日本では考えられないシステムである。

加えて受付の横にある電光掲示板を見て驚いた。そこには、どういった治療がいくらか、という価格表がざーっと流されていた。(例えば骨折治療コルセット処置:一箇所500元 といったように)
なんとシビアな。医療がまるで買い物の様な感覚を受ける。そして、その治療費は決して安くない。月収平均2万円の中国を考えれば、病院で治療を受けることが万人にとって当たり前ではなかろう。

中国にどういった保険制度や医療制度があるかは詳しくないが、早急に整備が必要だろう。少なくとも今日見た待合室の長蛇の列から、そういった印象を受ける。






2011年11月28日月曜日

北京から

もうすぐ北京を出発して、南下する。チケットは12月3日朝である。

3ヶ月住んでみた。分かったような、分からないような、そんな印象である。以前よりは確実に近くなった。北京人を含む中国人に触れる機会が豊富にあったから。(なんたって彼らは話し好きである)この都市に来ることは、多分暫くないと思う。ただ、学生時代の最後にこの場所を選んだことに、非常に満足している。優しい人にたくさん会った。

カナダの時と同じく、個々であった人は本当に刹那の出会いである。皆同様に北京を離れ、世界に散らばっていく。また会うのはいつになるのかなあーと考えてみた。ただ、そういう友人が世界中にいるのは非常に喜ばしい。彼らの目的地が日本に向いたときに、私だって出迎えることができるから。

2011年11月22日火曜日

交通事故

まさか海外で、と思った。

ちょっと遠出して友人にあげるお茶を買いに行った。ご機嫌でバスに乗ろうと横断歩道を渡る瞬間、影に隠れていたバイクに気づかなかった。

あ、死んだ。

と思った次の瞬間には天井を向いていた。何が起こったのか分からず、中国語の罵声も全く聞き取れない。バイクの前面が半壊したおじちゃんが降りてきて、たもは、やばい怒っとる!と思ったけど、よくよく聞いてみると、「没事吗!?(大丈夫!?)」と言っている。あ、やさしい人で良かったとか分けの分からないことを考えながら、おじちゃんのバイク大丈夫?とか聞いていた。どうやらバイクに跳ね飛ばされて、その勢いで横に止まっていた車に頭をぶつけたらしい。おじちゃんは病院に連れていってくれると言ってくれたけど、パニックな上に知らない中国の病院に行くのが不安で、大丈夫です、と断った。無視して轢き逃げても中国では無法だろうに、なんて親切なんだろう。

とりあえず、学校に帰らなきゃ、とバスを諦めタクシーに乗るが、段々不安がじわじわと募ってきた。今、絶対頭打った。しかも結構すごく打った。これ、寝たら翌日目が冷めないパターンちゃうか?冷静になるに連れ同じだけ不安が募ってきて、タクシーの中で涙が自然に出てきた。タクシーのおじちゃんに「事故にあったらまずどこへ行けばいいのかなあ?」と涙声で聞いたら、おじちゃんはびっくりして、すごく親切に話をしてくれ、病院に行くことをすすめてくれた。両親に電話、病院を紹介してもらった後、病院に向かう別のタクシーの中でも、「これで北京を嫌いにならないでほしい」といってもらった。パニックで電話しても辛抱強く聞いてくれた両親、また、晩御飯の約束を取り消した後も心配して何回も電話してくれた友達、ほんとにどれだけ感謝すればいいんだろう。

カナダの時も、今回の中国でも、海外にいるとたもは普段ありえないようなトラブルに巻き込まれるけど、そのたびに人の優しさに感動する。途方に暮れているからこそ、心配してくれる人がいることが温かい。

とは言うものの、生まれて初めての臨死体験である。当たり前だけど、道を渡る時は気をつけよう。おかしいな、北京の交通が危ないことは知っていたはずなのに。







2011年11月11日金曜日

Beijing Forum

私が運に恵まれているのは、今に始まったことではない。今回もそうである。京都大学学内公募をひょんなことから知り、英語のAbstractで応募したら、偶然通ってしまった。航空券ホテル食事付き、あらあら、なんてラッキーな、と言わざるを得ない。

そんなラッキーで始まったこのForumは、4日間北京大学で行われた。それが来てみて非常に驚いたことが2つ、そして、小さな気付きが一つある。


まず大変驚いたことは、このForumの規模である。学生だけの集まりかとおもいきや、世界中からこの方面の名だたる学者や著名人が集まり、ノーベル賞受賞者やUN職員までやってきた。途中から、いやいや、こんなとこに座っていていいんだろうか、と思わされる程、次々に出会う著名人に圧倒された。


それに負けず劣らず驚かされたのは、到着初日である。意気揚々とホテルに到着したところ、PPTはどこですか?と聞かれる。なんのことかさっぱり分からず、聞き返している内に血の気が引いた。なんと、こんなフォーラムでたもは自分の論文の発表をすることになっていたらしい。いや、聞いてへんで!!!と全力のつっこみを入れたが聞き入れてもらえず、ひたすら途方にくれ、ただそうしてばかりもいられないので、初日はひたすらホテルでPPT作りに精を出した。(実は他の参加者も全く知らず、全員の血の気も引いていたことにたもが気づくのは次の日である・・・)

最後に小さな気付きに関して、自分の変化を書いておきたい。4年前に中国に来た時もプログラムだった。その時と比べて、受ける印象が違う。何が違うのか分からず悶々と4日は過ぎたのだけど、今になって分かったことがある。4年前は、中国にいることに感動していた。異国にいて、慣れない外国語を必死に話す自分に、大きな満足と刺激を覚えた。一方今回は、海外に来ることで会える様々な人々により大きな興奮を覚えた。上記のとんでもない人々はもちろんだけど、それぞれの学歴やキャリアを歩いている全く違う背景を持つ学生参加者に会えて話ができたことに、非常に感動した。どちらも大切なマイルストーンである。そして、確かに今回のそれは前回の前方にあると感じることができた。


ただ、反省は色々ある。とってつけたプレゼントはいえ、もうちょっと面白くしたら良かったなと思った。今の自分のレベルではあれが精一杯で、失神しなかっただけ褒めて欲しいが本音だが、もっともっと、伝えたい事が会った気がする。なんにせよ、大きな刺激と、素敵な出会いをくれたのは、いつものとおりである。ただひたすらこんな機会を与えてもらったことに感謝しなければ。