2011年12月13日火曜日

満足って何だろう

目下バックパック中である。いやはや、中国のバックパックはアメリカでしたそれよりもほんとに安い。まずホテルが安い。一泊1500円くらいでめっちゃ広い個室部屋に泊まれる。(しかも選択肢なしの二人部屋である。二人でバックパックすれば更に安くなるだろう)。加えて、ご飯は安い。中国人と同じような場所で食べることに抵抗がなければ、100円くらいでゆうに食べれる。(初めでこそ抵抗があったものの、北京での生活ですっかり慣れた。むしろそういうとこの方が他の人と話す機会があって楽しい。)交通費だって破格である。(長距離列車の代金は日本の大体2-10分の1、市内バスは一回30円くらいである)

中国は限りなく中国人と近い生活をすれば安い。ただ、安いには理由がある。そう、そもそも中国人の平均月収はとんでもなく低いのだ。街を歩いていると求人広告を見かけることがある。いわゆる日本のパートは、月収1000-2000元程度である(13000円-26000円)。ここにきて、上記の料金がうなずける。決して安くはない。生活するのに適した料金設定になっているのだ。

中国の貧富の差は激しい。貧しい人はほんとに貧しいし、お金持ちは日本のお金持ちよりずっとお金持ちである。(私の友人は車を3台も持ち、家にはエレベーターがあった)。ただ、そんないわゆる下層の人が悲壮にひたっているかというと、そうではない。

散歩が好きである。たまたまそういった人が住んでいるところに迷い込んでしまうことがある。もしくは、道路掃除のおばさんが座っている側や、道端で籠みかんを売っているおじさんの横を通ることもあろう。そんな時に気づくのは、彼らから感じる満足感である。彼らは決して海外へ旅行に行ったり、子どもを留学させたりすることはできないだろう。ただ子どもの成長や、ご近所さんとの会話、友達と日向ぼっこしたり、誰が誰と結婚しただの、そういった話で盛り上がったり、子どもはお母さんを手伝ってみかんを売ったり、犬と遊んだり。いつ彼らに会っても、平和である。日常から生み出された満足感を、十分に享受している、という印象を受ける。彼らにとっては世界がどれほど広いか、なんて知るはずもないし、知る必要もないんだろう。

だから彼らみたいになればいいなんて、そんな簡単なことではない。ただ、満足感というのは、どこを基準にするか、何を知っているかに大きく依存していると改めて感じた。だからこそ、天井はない。車を3台持っている人は、5台持っている人を知ることで、不足感を感じる可能性はある。度を過ぎて満足を追求すると不幸せになるかもしれない。しかし、満足を追い求めることと向上心は紙一重なので、一概には言い切れないのも事実である。




2011年12月1日木曜日

お別れ

いっぱいお別れをした。

海外で留学するとはそういうことである。毎日の繰り返しが当たり前になったときに、突然終わりがやってくる。わかっているんだけど、やっぱり悲しい。旅行と違うのは、終わりの感覚が途中で薄れてしまうから、何かを突然なくしたように思ってしまうんだろう。23歳である。しかし、たもはお別れの時めっちゃ泣く。これはどうこうできることじゃない。喪失感が我慢出来ない。

しかし、同時にこれで終わりでないこともわかっている。以前カナダの友人に中国で会った。そう、みんなどこで次会うかなんて分からないし、案外結構すぐ会えるかもしれないんだ。

2011年11月29日火曜日

北京の病院に関して

少し書いてみる。

前述の通り、バイクと事故ったため数回病院に通うことになった。まさか北京で病院に行くなんて思ってなかったけど、折角の機会なので書いておこう。

私がお世話になったのは北京の中では結構大きい部類の総合病院である。その中の国際医療部というところに通った。そこで気づいたことがある。国際医療部といっても、受付が英語対応なだけで、見てくれる場所は中国人と共同である。ついた途端にうわーめっちゃ人おる。かなり待たないとあかんなーと思った。しかし、受付の人はおもむろに私のカルテを掴むと、座って待っている人々を横目にさっさと私をお医者さんのもとへ連れていった。どういうこと??

聞いたことがある。外国人対応の窓口がある部門は、治療が同じでも中国人のそれに比べかなり割高なのだ。私は保険会社がすべて支払ったが、私のそれもそういった高額請求の類に違いない。そして追加的にそういった代金を支払うことで、優先的に案内してもらうことができるのだ。日本では考えられないシステムである。

加えて受付の横にある電光掲示板を見て驚いた。そこには、どういった治療がいくらか、という価格表がざーっと流されていた。(例えば骨折治療コルセット処置:一箇所500元 といったように)
なんとシビアな。医療がまるで買い物の様な感覚を受ける。そして、その治療費は決して安くない。月収平均2万円の中国を考えれば、病院で治療を受けることが万人にとって当たり前ではなかろう。

中国にどういった保険制度や医療制度があるかは詳しくないが、早急に整備が必要だろう。少なくとも今日見た待合室の長蛇の列から、そういった印象を受ける。






2011年11月28日月曜日

北京から

もうすぐ北京を出発して、南下する。チケットは12月3日朝である。

3ヶ月住んでみた。分かったような、分からないような、そんな印象である。以前よりは確実に近くなった。北京人を含む中国人に触れる機会が豊富にあったから。(なんたって彼らは話し好きである)この都市に来ることは、多分暫くないと思う。ただ、学生時代の最後にこの場所を選んだことに、非常に満足している。優しい人にたくさん会った。

カナダの時と同じく、個々であった人は本当に刹那の出会いである。皆同様に北京を離れ、世界に散らばっていく。また会うのはいつになるのかなあーと考えてみた。ただ、そういう友人が世界中にいるのは非常に喜ばしい。彼らの目的地が日本に向いたときに、私だって出迎えることができるから。

2011年11月22日火曜日

交通事故

まさか海外で、と思った。

ちょっと遠出して友人にあげるお茶を買いに行った。ご機嫌でバスに乗ろうと横断歩道を渡る瞬間、影に隠れていたバイクに気づかなかった。

あ、死んだ。

と思った次の瞬間には天井を向いていた。何が起こったのか分からず、中国語の罵声も全く聞き取れない。バイクの前面が半壊したおじちゃんが降りてきて、たもは、やばい怒っとる!と思ったけど、よくよく聞いてみると、「没事吗!?(大丈夫!?)」と言っている。あ、やさしい人で良かったとか分けの分からないことを考えながら、おじちゃんのバイク大丈夫?とか聞いていた。どうやらバイクに跳ね飛ばされて、その勢いで横に止まっていた車に頭をぶつけたらしい。おじちゃんは病院に連れていってくれると言ってくれたけど、パニックな上に知らない中国の病院に行くのが不安で、大丈夫です、と断った。無視して轢き逃げても中国では無法だろうに、なんて親切なんだろう。

とりあえず、学校に帰らなきゃ、とバスを諦めタクシーに乗るが、段々不安がじわじわと募ってきた。今、絶対頭打った。しかも結構すごく打った。これ、寝たら翌日目が冷めないパターンちゃうか?冷静になるに連れ同じだけ不安が募ってきて、タクシーの中で涙が自然に出てきた。タクシーのおじちゃんに「事故にあったらまずどこへ行けばいいのかなあ?」と涙声で聞いたら、おじちゃんはびっくりして、すごく親切に話をしてくれ、病院に行くことをすすめてくれた。両親に電話、病院を紹介してもらった後、病院に向かう別のタクシーの中でも、「これで北京を嫌いにならないでほしい」といってもらった。パニックで電話しても辛抱強く聞いてくれた両親、また、晩御飯の約束を取り消した後も心配して何回も電話してくれた友達、ほんとにどれだけ感謝すればいいんだろう。

カナダの時も、今回の中国でも、海外にいるとたもは普段ありえないようなトラブルに巻き込まれるけど、そのたびに人の優しさに感動する。途方に暮れているからこそ、心配してくれる人がいることが温かい。

とは言うものの、生まれて初めての臨死体験である。当たり前だけど、道を渡る時は気をつけよう。おかしいな、北京の交通が危ないことは知っていたはずなのに。







2011年11月11日金曜日

Beijing Forum

私が運に恵まれているのは、今に始まったことではない。今回もそうである。京都大学学内公募をひょんなことから知り、英語のAbstractで応募したら、偶然通ってしまった。航空券ホテル食事付き、あらあら、なんてラッキーな、と言わざるを得ない。

そんなラッキーで始まったこのForumは、4日間北京大学で行われた。それが来てみて非常に驚いたことが2つ、そして、小さな気付きが一つある。


まず大変驚いたことは、このForumの規模である。学生だけの集まりかとおもいきや、世界中からこの方面の名だたる学者や著名人が集まり、ノーベル賞受賞者やUN職員までやってきた。途中から、いやいや、こんなとこに座っていていいんだろうか、と思わされる程、次々に出会う著名人に圧倒された。


それに負けず劣らず驚かされたのは、到着初日である。意気揚々とホテルに到着したところ、PPTはどこですか?と聞かれる。なんのことかさっぱり分からず、聞き返している内に血の気が引いた。なんと、こんなフォーラムでたもは自分の論文の発表をすることになっていたらしい。いや、聞いてへんで!!!と全力のつっこみを入れたが聞き入れてもらえず、ひたすら途方にくれ、ただそうしてばかりもいられないので、初日はひたすらホテルでPPT作りに精を出した。(実は他の参加者も全く知らず、全員の血の気も引いていたことにたもが気づくのは次の日である・・・)

最後に小さな気付きに関して、自分の変化を書いておきたい。4年前に中国に来た時もプログラムだった。その時と比べて、受ける印象が違う。何が違うのか分からず悶々と4日は過ぎたのだけど、今になって分かったことがある。4年前は、中国にいることに感動していた。異国にいて、慣れない外国語を必死に話す自分に、大きな満足と刺激を覚えた。一方今回は、海外に来ることで会える様々な人々により大きな興奮を覚えた。上記のとんでもない人々はもちろんだけど、それぞれの学歴やキャリアを歩いている全く違う背景を持つ学生参加者に会えて話ができたことに、非常に感動した。どちらも大切なマイルストーンである。そして、確かに今回のそれは前回の前方にあると感じることができた。


ただ、反省は色々ある。とってつけたプレゼントはいえ、もうちょっと面白くしたら良かったなと思った。今の自分のレベルではあれが精一杯で、失神しなかっただけ褒めて欲しいが本音だが、もっともっと、伝えたい事が会った気がする。なんにせよ、大きな刺激と、素敵な出会いをくれたのは、いつものとおりである。ただひたすらこんな機会を与えてもらったことに感謝しなければ。












2011年10月10日月曜日

感謝しきれなくて

ここ北京において、カナダの大学の友人に会う幸運に恵まれた。彼はカナダ人であるが、両親のルーツは中国にある。何年かぶりに両親の故郷を尋ねる時、運良く会うことができた。

私のカナダ留学は、成功と呼ぶには程遠い。学んだことは計り知れない。しかし、出来なかったことがたくさんある。本当にたくさんある。その中でも一番できなかったと感じるのは、カナダを知ることである。文化が違った、機会もなかった。結果として、私が知っているカナダローカル人はさほど多くなかったような印象を覚える。本当に、彼らを知ることに必死だった。しかし、最後にはこれが文化の壁か、と感じざるを得なかった。それ程、本当の意味でその壁を超えるのが難しかった。まるで誰も私の話を聞いてくれない、と感じるそんな壁である。私がカナダに残したものなんて、何も無いんじゃないか。そう思わずにいられなかった。

彼も、知ってはいるが、という程度の友人だった。帰国直前に知り合い、一度食事をカナダでし、何度か話をしたくらいである。私はその後すぐ帰国したので、よく話す機会などなかった。しかし、ここ中国で彼に会うことは、後で非常に大きな意味を持った。


彼は私が中国にいることに非常に驚いていた。私の姿勢を、本当に褒めてくれた。カナダにいたときに話せなかったことを、とてもたくさん話した。何時間も座って、たわいのないことから中国、カナダ、日本のこと、過去のこと、将来のこと、彼は私の話を本当に興味を持って聞いてくれたし、彼の口から聞くカナダ中国は、本当に本当に興味深かった。そうか、あのカナダの大学の学生は、こういうふうに考えて過ごしていたのか、と今更になって理解できた気がした。本当に、偶然がくれた宝物である。あの必死でカナダ人と繋がりたいと思っていたときに戻って、彼にもっと早く会えていたなら、私のカナダの生活はどうなっていただろう、と考えてしまった。

そんな時、驚いたことに彼は、「2年前に戻って、悠加ともう一度もっと早く知り合えたら良かった。もしできるなら、2年前悠加がカナダにいた時に戻りたい。君はその時の僕を探して、後ろから肩を叩いて、友だちになって欲しい、と言って欲しい。僕は必ずYes、と言うから。」と言ってくれた。

まあ、なんとくさいセリフだろう。しかし、私はちょっと泣きそうになった。そんなこと無理だってわかっているけど、こんなことを言ってくれる人に出会えただけでも、私があの時間、あの場所にいた事には意味があったに違いない。彼は、カナダに帰っても絶対私のことを忘れない、絶対、また会おうとも言ってくれた。彼は多分私がどんな気持ちで彼の言葉を聞いていたかなんて、知らないんだろう。私は、カナダに何も残さなかった訳ではないのだ。

もう今はただ幸運と彼に感謝するのみである。辛い事が多かったからこそ、こんなことがとてつもなく大きな意味を持つ。私だって彼を忘れたりなんか絶対しない。約束したのだから、また必ず会うのだ。






2011年10月4日火曜日

最初の一ヶ月を終えて

中国での最初の一ヶ月が終わった。できたこと、できなかったことを考えてみようかなーと思った。

中国語は現在進行形で頑張っている。伸びたかと言われればイエス、話せるかと言われれば、時によりである。トラブルにおける基本的な欲求を伝えることに問題はなくなってきた。道を聞かれて教えてあげることも、3回に1回くらいできるようになってきた。ただ友人に、あーこれ教えてあげたら面白いのになーということで我慢することは、やはり未だ有る。ただ語学という面では、1ヶ月頑張ったように思う。

加えて、現地の中国人とたくさん話す機会もあった。ひょんなことから知り合った学校内の中国人の友人と話したり笑ったり、カナダではあれ程難しかったことができている。また、ボランティアで手伝っている授業でも、多くの中国人と知り合った。やはり、向こうがこちらに興味が有ることが大きく手伝っているように感じる。ただ理由はなんであれ、非常にありがたい事だなあと思う。


以上2つが目下定めた目標の中で、前向きなもの。いやーたも、頑張ってるやん。でも、毎日の生活の中で、心から楽しめていないと思う瞬間もある。先を考えてしまう。時間がすぎるのが怖い。多分毎日毎日を盲目的に楽しめばいいのだと思う。ただ、それがどれ程難しいことか。

怖がっても時間の進む速度は変わらないのだから、全く意味のないことだっていうのは分かってる。だから、今は目の前に有ることすべてに感謝して、毎日を楽しみたい。




2011年9月23日金曜日

中国語って

とか言い出すときりが無いんだけど。そもそも言語を学びに来たのだから、少しぐらい中国語に関して触れてみたい。中国語は難しい。特に、日本人はあの難解な発音に苦労するだろう。いっしょやろ!といえる発音が、少しずれるだけで全く違う意味を持つことがある。(例えば私は熱水と水漏れの発音が上手く出来なくて、熱水がでないと伝えたかった時、水漏れかと勘違いされて大騒ぎされた)


しかし、学び始めたら、その上達カーブは英語のそれより早いと思う。というのは、日本語の単語を中国語読みするだけで結構合っている事が多い。ので、クラスでは結構優越感に浸れる。ある程度の単語の発音を覚えたら、既知の発音を組み合わせて未知の単語の推察ができる。日本人の応用力は欧米人に比べてはるかに高いだろう。


今日、ひょんなことから中国政府のお役人の方々5人とたもという奇妙な組み合わせでご飯を食べた。彼らの話はもちろんかなり難しい上に、彼らは英語が話せないという始末である。とんだ惨事が予想されたが、結構楽しめた。というのは、自分が思っていたより置いてけぼりではなかったからだ。日本の事、中国のこと、中国に来てからの生活、日本との違い、彼らの辛抱強さもあって、ゆっくりと話し、一緒に笑うことができた。

やはり言語を学ぶには現地に行かなくてはなるまい。ことばを習得するたびに、理解の幅が広がり、自分の表現は豊かになる。諦めなければいけないことが、どんどん少なくなる。それが分かるから、楽しくて仕方がない。そんなマイルストーンを踏むたびに、やはり勉強しなくては、と思ってしまう。いっぱい遊んで、いっぱい勉強しよう。将来どんな風に役に立つかは分からないけど、世界に一緒に話が出来る人がぐんと増えるだけでも、素晴らしいことではないだろうか。



2011年9月15日木曜日

千里の道も一歩から

今日、人助けをした。大層なことを言っているが、人に道を教えただけである。しかし、たもにはめっちゃ意味のある瞬間だった。

文化柄か、中国人はやたらと人に道を聞く。そして、たもの顔には道を聞いてくれと書いているのか、非常によく道を聞かれる。ところがもちろん、たもに彼らが何をいってるか分かるはずもなく、目的地も全く聞き取れない。そもそも道を聞いているのか、という事実に気づくのに時間がかかる。加えて、こちらの土地勘が全くないため、そもそもそんな場所しらん、ということが99%くらい占める。

ところが今日、尋ねられた場所を知っていた、そして、聞き取れた。単語を搾り出し、どうやっていくのかも伝えた。どうもーという感じで彼は軽く去っていったが、後に残されたたもはスキップで部屋まで帰った。

こうやって人は進歩するのだ。焦らず、一つづつやっていこう。この地に来て初めてできた人助けなんだから、きっと大きい意味があるに違いない。

2011年9月11日日曜日

朝活

中国の朝は早い。太極拳とかはそんじょそこらで朝5時過ぎからやっているらしい。(もちろん行ったことはないが)部屋の掃除は7時半から始まるし、食堂の朝ごはんは8時半には全て終わってしまう。また、中国人の友達とショッピングに待ち合わせる時、「じゃあ、朝9時集合で!」とか普通に言われる。最近は約束する時10時以降にしてー(汗)と前もって釘をさすようにしている。


一方夜はやはり早い。店は大体10時くらいまで開いているけど、地下鉄も10時過ぎには終わってしまう。ので、8時ころ帰ってきて時間を持て余すときもある。

でも、これは結構健康的な生活だと思う。中国にいる時くらいは早寝早起きをしてみようかなと思う。まさに、郷に入れば郷に従えだ。

2011年9月9日金曜日

発熱

発熱した。最近ずっと歩くたびにつまづくのはなんでかなーと思っていた。きっと中国のコンクリがめっちゃ歪んでるんやな!と思っていたけど(多分それも間違ってないけど)、どうやら、熱がずっとあったらしい。そういえば、コンスタントにずっとだるくて、昨日にいたっては堪らずカフェで2時間休憩した。

海外っていうのは怖い。日本だったら当たり前に気づくことに、全く気づかなかった。全てが違いすぎて、自分の体の些細な違いが埋もれてしまうんだろう。とにかく、久しぶりの真っ青晴天にも関わらず、ぶっ通しで寝続けた。

ただこういう時にこそ、人の優しさって身に染みる。心配した友人がメールを送ってくれたり、ご飯の配達を申し入れてくれたり、両親にメールをもらったり。いやはや、ありがたいなーと思う。とりあえずまた休息に勤しんで、早く復活しよう。

2011年9月7日水曜日

信号機

中国においては、信号機はあってないようなものだ。一応歩行者用と自動二輪用のものがあるみたいなんだが、まったく、どうなっているのかさっぱり分からない。そして、人は隙さえあれば、ざかざかと渡っていく。車だって隙さえあればびゅんびゅん走っていく。

始めは、律儀に歩行者用の信号が青になるまで永遠と待っていたんだけど、待つこと数分、どうやら歩行者用の信号機が壊れていることにきづく。気づくに時間がかかったのは、あまりにも皆縦横無尽に渡るため。タイミングが全く分からなかったからだ。

今は、他の中国人の後ろに隠れてこわごわ渡っている。が、はねられそうになったことは結構ある。未だ交通事故の現場に遭遇したことはないが、自身が第一号にならないように注意しよう。


2011年9月4日日曜日

礼儀、礼儀?

インターネットがつながった嬉しさに、書きためたものを怒涛のように書いている。

中国人に対して、どのようなイメージが有るだろうか。日本人にとっては、必ずしもよいものではないだろう。すぐ切れる、並ばない、待たない、といった具合か。多分間違っていない。というか、おそらく結構合っている。彼らは待たないし、並ばない。そして、短気である。

それは、高校生の時、そして大学1年生の時来た印象と変わらない。しかし、その他に、変わったことがある。テレビを付けると、かなり啓蒙目的の番組をよく見るようになった。お年寄りに席を譲る、ゴミを捨てない、等々、マナー向上を訴えるCMだ。(日本のACみたいな)

ある程度経済発展を達成すると、社会としてもう一歩上に動かなければならない。いわゆる、秩序の構築である。まさに、中国は過渡期にあるかなと思わされる。

それがどのように実際浸透しているかはわからない。3ヶ月でどれくらいそれがわかるんだろうか。


中国での第一週

洗礼を早速受けました。インターネットの契約に3時間、フロントで金銭をめぐった大バトル。シャワーの賠償問題でまた大バトル。等々。
ただ、それを楽しめるのはやはり一回留学の経験があるかなと思う。国が違うと、基本的に不便なんだからしょうがない。むしろ面白いと思った。そして負けてやるもんかという気概がある-_-!!

出国前に友人を大勢紹介してもらったので、とても有難いことだ。家もある。あんなこんなあっても、余裕を持って楽しめているように今のところ感じている。本当に、たもは恵まれた子やなーと思う。いつも誰かが助けてくれている。感謝しなければ。

先日なんか酔っ払ったおっちゃんに絡まれて、何がどうなってか大学生の中国人女性のランゲージパートナーを得た。まったく、おかしな国である。

毎日目標一個。そして焦らず一個ずつ。カナダでの生活も思い出しながら、自分に言い聞かせている。


2011年8月31日水曜日

明日から

無闇に人を信じることをやめよう。人に期待することもやめよう。
真っ更な気持ちで人に向きあってみよう。




2011年8月30日火曜日

北京へ

ついに明後日出国だ。以前、北京に行ったあの日のことを思い出さずにいられない。

私は1年生だった。なんと、10代。京都大学生として、北京大学で行われた文化交流会に参加した。初めての英語、そして、全く話せない自分。名刺(name card)の単語すら分からなくて、自分のName plateと勘違いした遠い自分を思い出す。加えて、他の参加者が全員4回生5回生であり、自分の専門を学び終え、全員が留学を経験し、進路を決めた人ばかりだった。自信を持って話す彼らに圧倒され、自分が人生で一番小さく見えた。

今、自分が彼らの年代となり、再び北京に向かう。今過去の彼らと会えたら、対等に話ができたんかなーと思う。カナダで英語と経営学を学んだ。専門もそこそこ勉強した。そして、今回は中国語と、中国とはなんぞやを学びに行く。

やっぱりこの4年間は大きかった。ただ、同じ街、同じ国なのに、彼らがそこにいないのはやっぱり寂しいかな。勿論日本にいればすぐ会えるんだけど、あの時間、あの瞬間に全員が集まることは、もうない。

目下は、中国を去るときに誰かにそういってもらえるような交友をもてる様に頑張ることにしよう。



2011年8月23日火曜日

あと10日

で中国に出発する。語学の勉強と、11月に北京大学で開催される国際フォーラムに京都大学として参加するためだ。

1ヶ月前まではわくわくしていたのに、今猛烈に行きたくなくなっている。そして、この感覚を知っている。カナダに留学する前と、アメリカに一人旅行する前に、この感覚を経験した。前者は言うまでもなく未知の国へ旅立つ不安感、後者はそれに加えて生まれて初めての海外一人旅のせいだ。

どちらも、結果的にはすごく勉強になったから、今回もきっと素晴らしい経験になると、野生並みの本能で知っている。だから、しっかり目標を決めていこう。

とりあえず、あーーーってならずに中国語が話せるようになろう。時間が限られているから、そもそもビジネスレベルの中国語なんて考えていない。むしろ、自分の欲求がストレートに表現できるレベルにまで到達したい。加えて、現地の人と積極的に関わろう。日本人をできるだけ避けて、期間が短いからこそ、中国人の考え方を勉強したい。

今回も大学からちょっとお金がもらえるという幸運である。ほんま、たもは恵まれているなあと思う。だからこそ、自己満足じゃなく、しっかり勉強しないと、しばかれてしまいそうだ。


2011年7月24日日曜日

試験勉強

非常に忘れがちだがたもは腐っても学生である。ので、当然試験がある。おそらく学生生活最後の試験になるだろうが、まーこれが進まない。

高校生の時は平気で10数時間ぶっ通しで勉強できて「はっ!ご飯!」となることがあった。今では全く考えられない。2-3時間勉強すると集中力が切れ始め、恐ろしくどうでもいいことを考え始める。

ただ、カナダから帰ってきてから勉強の仕方は変わったかもしれない。先生のオフィスアワーをよく利用するようになった。京都大学はオフィスアワーを利用する学生が比較的少ないので、簡単に先生を独り占めできる。(カナダのように、30分きっかりしかあかん、とか言われないし、その日は予約いっぱいやーとも言われない)そして、先生はそんな珍しい生徒を大変歓迎してくれる。

先生と議論している時間は楽しいし、とても贅沢な時間のように感じる。世界レベルの知識人としゃべり放題って、多分まさしく学生の特権だろう。みんながみんなこれをやりだしたら、きっと先生は大変やけど、是非より多くの学生にオフィスアワーの大切さに気づいてもらいたい。

2011年7月19日火曜日

カメラ

を最近使わなくなった。なんでだろう。多分忙しいことも理由のひとつかも知れない。

カナダにいたときは毎日カメラを運んでいた。些細な一瞬を見逃したくないという貪欲さを持って毎日過ごしていたように思う。特別どこに遊びに行かなくても、ねこを見つけては撮り、子どもを見つけては撮り。おもろい看板を見つけては撮り、ご飯を食べては撮り。


友人は私を典型的なアジア人だと笑ったが、こういう姿勢で毎日過ごすのは大切かもしれない。ただでさえ嵐のように過ぎていく日常を、ちょっとだけでも記録しておくのは粋な気がする。世に言う「リア充」か。

忙しさに負けずに毎日を楽しむ努力をしよう。悩み事は多く、すぐに解決するわけでもないけど、それに日常を持って行かれてはあまりにも勿体無い。とりあえず、カメラを充電してみよう。

2011年7月3日日曜日

たもって将来

何になりたいんだろう。分かってたはずなのに、わからなくなってきた。そして前回の投稿を見ても、全く進歩していないことが伺え、ため息が100回くらい出そうだ。


将来への選択は優先順位の問題だと思う。人によって大切なものはもちろん違う。お金だったり、地位だったり、自分への時間、家族、世界平和etc etc...たぶん要素はめっちゃいっぱい存在して、その中で優先順位を付けるのだろう。

じゃあ、たもの優先順位ってなんだろう。なんとなく、国際的で、将来への可能性・・・みたいな、もやっとした軸であったような気がしている。いやいや、10数年前には、ちびまるこちゃんみたいな漫画家になりたかったはずだから、軸すら存在してなかったな。そう考えるとやはり真面目になったのか。うむ。


今たもに与えられた1つの選択肢は、贅沢すぎるものである。多くの人が欲しがり、そのために必死に努力するものを、なんの縁あってか頂いた。しかし、これは私がしたいことなんだろうか。多くの人が肯定することが、すなわち自身の肯定になっていないか。

100%満足のいく進路に万人が進むわけではなく、与えられた選択肢から人は幸福を探すのだとも理解している。でもなーまだそこまで大人になれへんねんなー。

この不安はおそらく社会人になることへの不安も包括しているんだろう。守られた「学生」から、一社会人になることへの不安は、おそらく絶大だ。ただし、進路を考えるに当たっては、とりあえずそういった不安は横に避けて、純粋に選択肢に目を向ける必要があるんだろうな。

2011年5月15日日曜日

若年にして

早起きになった。なんだか不安で明朝に目が覚める。ストレスで眠れないのはよく起こる体質らしいが、早起きは稀だ。何が不安かって、決定的なそれもわからないので、ちょっと徒然に書きだしてみるという暴挙に出る。

1.健康への不安

なんだかわからんが体重が2kg減った。理由は謎だ。よく食べ、甘いものも適時食べる。うん、適時というか、よく食べている。なのに体重は減り続け、その体重のせいか、風邪は引きやすくなった。とりあえず、びびらず医者にいくべきか・・・。

2.将来への不安

内定はあっても、その会社への不信感は消えない。本当にこれであってるのか、取り返しの付かないことをしていないか、と不安になる。こればっかりは、「うんうん、合ってるでー」と言ってくれる人などいないのだから、100%自己責任であるのだが、なんとも、踏ん切ったはずで踏ん切れてない。情けない。

3.目下卒業前までの計画への不安

たもは、何かがすべて宙ぶらりんの状態が大の苦手だ。早くしないと、早く決めないと、という焦りが不安を生んでいる。卒業までに何をすべきか、何をすれば後悔しないのか。本来楽しいはずの卒業計画が、なんとなく億劫である。

つらつら書いてみると、結局自分が何とかしないといけないことばっかりだ。いや、それは分かってるんだけどなー。



2011年4月26日火曜日

23歳になります

今月28日、23歳になります。最近、年を取るのが気が重くなってきた。もちろん「年をとる」という事実自体も好きではないけれど、それ以上に、年齢に自分の中身が付いて行っているかが不安で、気が重くなっている。年は一年毎に一歳ずつジャンプする。しかし私はあくまでも、なだらかな曲線を描きながら変わっていく。一歳分の変化を、この一年で十分できたかは、分からない。去年と変わったことってなんだろう。

とりあえず職は得た。インターンもした。だから、ビジネス面で言えば去年にない経験を持ったことになる。でもそれらは単なる事実であって、そこから得たもので、根本的な私が変化したかは、謎。やはりいつまでたっても、自分に甘く、非常識で、見通しもない私だ。ただそれでも、将来のことを以前よりちょっと考えるようになったのかな・・

話は違うが、私の誕生日にはちょっとしたジンクスがある。誕生日直前に、あんまり良いことがおこらないのだ。しょぼーんとした気持ちで誕生日を迎えることが、過去数えきれないほどある。去年もそうで、誕生日直前の悲劇に、「またか!」と、もはや自虐的なつっこみを入れた。しかし、去年悲しい気持ちで誕生日を迎えなかったのは、友人に囲まれていたことだ。ジンクスを、カナダで出会った優しい友人達が埋めてくれた。

別に特別なことをしたいわけではなく、ただ家族でも、友人でも、誰かと一緒にいたいと思う。生まれた日を誰か共に過ごす人がいるというのはとても幸福なことで、そうしてくれる人々に感謝の気持ちを忘れないための日であると思うからだ。


2011年4月17日日曜日

選択

人は様々な場面において選択を迫られる。私はこれがめっちゃ苦手だ。いつも万全に情報があって選択できるわけではない。時には、まじか!という位、限られた情報に基づいて決定を行う必要がある。だからなおさら、あっちが良かったかなーとか、後で考えて落ち込む。選ぶという事は、残りの可能性を捨てるということだ。そこに、莫大なストレスを抱えている。

今、いくつかの事象において、人生の大きな選択を迫られている。小さくは仕事、大きくは将来。そして、私は最善だと思われる決断すべきだろう。でも、今回は成り行きにまかせてみている。結局あるべきものは、あるべきところに収まるものではないのか。と、最もらしい言い訳をしている。

2011年3月27日日曜日

友人の卒業によせて

先日卒業式があった。私は留学と就活の関係上、一年遅れで卒業するため、皆を見送る形になる。いつも卒業式では泣いてた。小学校、中学校、高校でもみっともないくらい泣いて、写真はどれも残念なものになっていた。しかし、今回は涙が出なかった。その代わりに、大きな不安感が最近体を包んでいるように感じる。

これで良かったのか。そういった自問自答を繰り返している。4年共に学んだ友人と卒業せず、一歩脇道にそれたために、皆の背中ばかりを見ているような、置いて行かれてしまったような錯覚に陥る。人と違うことをするとはそういう事だし、それを求めて選び取った道のはずが、その価値を問い続けている。

おそらくそれに加え、なんだか流れに任せた就職活動や、上手く進まない中国留学や、その他色々な不安が折り重なって、ぐるぐるとたものお腹のなかでトグロを巻いている。こればっかりは、自分で何とかしなければいけない。何時までも誰かに甘え続けているわけにはいかない、と思っている。

今はとにかく、暖かく友人を見送ろう。卒業式にあたり、実はほんとに多くの人に出会い、交友を持ったことを実感した。さよならは寂しいけど、さよならを言う相手がたくさんいるということは、本当に恵まれたことだ。

2011年2月20日日曜日

春。再び。

春には、匂いがある。嗅覚って、五感の中でも結構ダイレクトに脳にごつーんってくると思う。ぶわっとフラッシュバックみたいに、過去のことを思い出したりするのは、たもだけとちゃうと思う。

カナダにいたとき、その春の匂いに、一気に(しかも久しぶりに)ホームシックに襲われた。思い出したんは、家の前の、普通のコンクリートの道、とか毎日特に意識しなかったけれど確かに生活の一部であった場所達だった。

それが今、面白いことが起こっている。春の匂いがして、思い出したのは、あのモントリオールに住んでいたアパートの前の、並木道だった。極寒を乗り越えて迎えた春はめっちゃきれいやったし、その分匂いも強烈に意識したのを憶えている。また、一気に日が長くなったこととか、家の近くのタイレストランから夜に流れてくるめっちゃ美味しそうな匂いとか、ちょっとだけ薄暗くなった家の中で電気をつけずにご飯を作ってルームメイトを待ってたことも一緒に思い出して、なんだかちょっと泣きそうになった。

これもホームシックて呼ぶんか。ということは、たもにはきっとホームが二つあるってことなんやなーと思って、ちょっと嬉しい。多分今嗅いでいるにおいも記憶として知らず知らずに蓄積され、いつか懐かしく思い出したりするんだろうな。

2011年1月13日木曜日

内定者ミーティング

今、東京にいる。もしかして、来年一緒に働くかもしれない人々と会うためだ。嬉しいはずなのに、なんとも言えないこの不安感はなんだろう。

たもには、今内定がある。ほんとに、いつの間にかある。競争を潜りぬけ、いわゆる世間一般に言うめっちゃむずかしい会社からオファーをもらったらしい。身に余る光栄だとおもう、が、しかし。

一緒に働く人が誰なのかということは、とても大切だとなんとなく思っていた。というのは、いわゆる就活セミナーに行くたびに、内定者が出てきて話をし、働いている人で決めました!と顔を輝かせて言うからだ。ではもし、一緒に働く人がたもと全く合わなかったらどうしよう。不安の根源はどうやらここだ。入るための競争が厳しすぎたために、集まる人はきっと化物みたいな人々なんだろう。そんな人々と、性格的にも、気持ち的にも、一緒にやっていけるだろうか。

自分もまた選ばれたことには意味があると思いたい。ただ、その意味が一体どこに見出されたのか、未だによく分からない。

2011年1月6日木曜日

そろそろ大人にならねば

大人にならないといけないな、と思う。いやはや、早いもので、今年でもうすぐ23歳ですから。小さい時は、大人=正しい と思っていたけど、いわゆる大人に自分が近づいてきたにつれ、どんなに大人の人でも、すべての人が正しい訳ではないと気づいた。年をいくらとっても、いろんな要素において、ちょっと、という人はいる。年齢と比例して、人は大人になれないのだ。

そもそも大人の定義ってなんなのさーとか、理屈っぽい人は言い出すかもしれないが、そういうのはめんどくさくてタモは嫌である。たもは自分の理想とする大人像を持ち続けて、そこにじわじわ近づく努力をしたい。よく言う大人への階段である。それはきっと一段飛ばしとかいう裏技は許されないはずなのだ。

たもは、恋愛、交友、仕事/勉強 をバランスよく保ち、育てたい。そして、例えそのどれかが欠けたり傾いても、残りでしっかりと支え崩れない自分になりたい。これがたもの思う理想的大人だ。たもはどれかが傾くと結構引きずる、と思う。加えて、結構根に持つタイプだとも思う。でも、よくよく考えると、そういう事をする時間と労力は、限りなく無駄に等しいかもしれない。なぜなら、一つ一つの要素が大切であるのには疑いが無くとも、相対観、全体観、で見たときに、底にかける時間労力の対効果が低すぎる。人生は、瑣末なことに気を取られすぎることを許すほど長くはないし、たもはまだ見たり知ったりすべきことがたくさんあるのだ。

2011年1月4日火曜日

新年明けまして

ブログの存在を忘れていた。自分はあきっぽいと思っていたけれど、これはちょっと情けないわーと思う。自戒と刺激の意味も込めて、細かに今年は日記を書くことにしよう。去年はいっぱいの経験をできた年だった。まったく、去年の今頃自分が本当に違う暮らしを生きていたことが、信じられない。今年も、人に学び、自分を振り返る一年にしよう。

今年は、中国語を一生懸命頑張って、英語も自信を過信せず、勉強を続けよう。それから、もっと我慢が出来る人になれたらいいな。こんなたもに飽きずに付き合ってくれる人々に感謝、感謝しよう。