2010年9月12日日曜日

詰め込み

たもはふつふつと怒っている。日本の教育制度に対して、またその先にある就職活動の慣行に関して怒っている。

日本の教育は詰め込み教育だ。意味の分からない式や記号を丸暗記して、自分ができうる最難の大学を受ける。詰め込みが悪いとは言わない、が、その先にそれを活用しうる機会が用意されていればの条件付きだ。

教育に対して憤慨したことはしばしばあるが、それが頂点に達したのは、自分が勤めていた予備校で起こったことだ。私は、アルバイト講師として、小学生、中学生を2年間指導した。伸びていく子供を見るのは楽しいし、アルバイトとは思えないほどのやりがいと、充実感を持って仕事をしていた。ある日、私のやり方が常々気に食わない正社員講師の方が、若干喧嘩腰で話しかけてきた。一つの角が内側に凹んだ四角形を見せて、「森田さんなら、この角Aを出すために、どのように生徒に教えるの」と。私は、「これは形が異質に見えても、角を4つ持つ四角形の仲間です。ですから四角形の内角の和である360度から、他の角を引いて求めさせます。」と答えた。すると、その正社員講師は、わかってないなーという顔をした後に、「ここはね、実はここからここを引くと求められるんだ。」と勝ち誇ったように言った。

確かに、計算の回数は少なく、早く求められるようだ。しかし、なぜそうなるのかを説明するには、その学年では習わない、補助線を用いた証明の理解が必要な解法だった。その旨を正社員講師に伝えると、解ければいいのだ、という回答が帰ってきた。両方教えてはどうか、と私が言うと、このレベルの生徒はたくさん解法を知っていると混乱するからやめたほうがいい、とのことだった。

本質を教えない、日本教育の崩壊を目の前で見たようだった。解ければいいのだ。解けて、望んだ学校に受かればいいのだ。従順な生徒は、一見万能な、しかし理解不能な公式を喜んで丸暗記し、応用の限界に達して、壁にぶち当たる。そんな生徒は、果たして望んだ学校に受かりさえするだろうか。ましてや、この予備校はその後の生徒の成長など考えてもいないのか。

できるだけ本質を生徒に理解して欲しいという信念の下、指導してきた。本質を得た生徒は、応用の幅が広いからだ。私も予備校に通ったが、小、中学時代は、良い講師に恵まれた。詰め込みでなく、興味に忠実に答えてくれる先生に出会った。ここは試験に出ないから、と話を止めることなく、私たちが納得するまで、一緒に「研究」してくれる先生方は、最高の学びの場を提供してくれた。本来、学習とはそうあるべきでないのか。ここの仕事を辞めた理由は他にもあったが、これは大きな理由の一つだ。

そういった教育の延長に、日本の就職活動があるとおもう。選択形式のパズルや、性格判断テスト、そして、それを切り抜ける「裏技」テキストの流行。将来におそらく全く必要ないテクニックを得るために、迷える大学生は惜しみなく時間とお金を使う。詰め込みに慣れすぎた日本人の成れの果てか、と自分自身取り組みながら、不意にむなしくなった。先に繋がらない努力というのは、人に無力感を与えると思う。

就職活動に振り回されることを極力避けたい。それは、受験戦争の反芻のようで虚しすぎる。学生の本分は勉強で、それも興味に忠実な勉強である。自分の将来のため、本当に役に立つ勉強に時間をもっと、もっと割きたい。ただ、こんなことを言っていても、就活が激化するに連れて、やはり他の日本人同様、企業に振り回されるのだろうな。



2010年9月4日土曜日

帰還

一ヶ月強の投資銀行でのインターンを終えて、大阪に帰ってきた。失敗もいっぱいしたけど、終わりよければすべてよしとはこのことか。プレゼンテーションでは、普段の雰囲気からは想像できない程上手かった、と褒めてもらった。果たしてこれは褒め言葉か。ううむ。

学んだことは多い。出会った人も多い。そして、カナダから学んだことが生かされていると感じることは多かった。結構知らない人にずけずけと話しかけることができるようになったので、オフィスで認識してもらえるようになり、結果としてタメになる話をいっぱいしてもらえた。いやはや、ありがたい。

投資銀行を将来キャリアにとるかどうかは、わからない。ただ、そんな狭い考えでインターンを評価することはやめよう。コネ、とかそんな安い言葉で測れないものを得た。たもは運にも恵まれたなと思う。

このアウトプットがうまく出来るよう心がけよう。私が学んだほんの少しのことを、それを必要とする人に分けてあげられるようになりたいな。



2010年8月17日火曜日

インターン半ばにさしかかり

インターンは二週間ちょっとがすぎた。半分より少し手前くらいか。いやはや、大変だった。こういう生活をすると、早く老けそうだ。しかし、学んだことは多い。
やはり、長期にして正解だった。その仕事を本当に理解することに加え、技術を得るためには、短期では私にとっては不十分だ。周りの生活が、だいたいの繰り返しに変わる頃、気づくことが徐々に増え始める。
加えて、リサーチを選んだことは正解だったと思う。というのは、まだ将来のキャリアパスが100%、しっかりと固まっていない私にとっては、リサーチに要する技術に汎用性があるという事実は、非常にありがたいことだろう。アナリストという名前そのままに、様々な視点から企業、業界をアナライズするという見方、考え方は、私の財産になるだろう。
しかし、へこむことは多い。特に、失敗が多いことだ。また、比較対象がないために自分がどこまでできているか分からないという不安は、常につきまとう。自分は、自分のペースでやろう、と言い聞かせて(いつも使っているノートにまで書いて)いるが、やっぱり、無理やろと思う。

2010年7月30日金曜日

東京へいこう

明後日から東京へ行ってくる。一ヶ月のインターンに参加するためだ。何の準備をして良いか分からず、新聞を毎日気をつけて読むくらいしかできなかった。ううむ。

かなりの待遇で迎えていただくようなので、やはり役に立ちたい。こいつ来てもうてよかったわーと思ってほしい。が、金融の知識がまったくない私をいかにつかってもらえるだろうか。不安ばかり募る中、荷作りにやっととりかかっている。

カナダでの一人暮らしが助けてか、今回はばたばたした感じはしない。が、心境は出国前の気持ちに少しだけ似ている。何回泣かされるんかな。みたいな。カナダではまさに予想以上に過酷だったが、それだけにリターンはそんじょそこらの人より大きかったと信じる。やから、泣かせてみんかいくらいの気持ちでいこう。血が出るくらい一皮もふた皮も剥けて帰ってくるのだ。

2010年7月18日日曜日

インターン

インターンを東京の投資銀行に頂いた。ひとまず喜ぶべきであろうと思う。海外では2カ月以上のインターンが当たり前であるのに対し、日本では、3日、5日、1週間、また時には1日など、インターンシップと呼ぶにはあまりに短すぎるものが一般的である。おそらく目的が、技術習得よりも業界研究に重点が置かれていることに原因があるように思われる。私はどちらかというと、業界研究よりも、経験と人脈、本当の意味の就業体験を求めた。よって、より希望に沿うと思われる長期を中心に探してきた。そして偶然頂いた1カ月インターンである。



しかし、ここで困ったことがある。私の専門は経営戦略であり、金融とは大きくかけ離れたものだ。それでもいいと社員の方はおっしゃったが、本当にそれでええんか?とつっこみたくなる。じゃーこのでくの棒を一カ月どうやって使うねんと。



加えて、この選択ははたして私の将来キャリアから逸れたものではないかということだ。教授におまえは金融人じゃないと言われたことも大きいが、一番の悩みはどうやらここだ。私はネームバリューと、インターンの期間だけを考慮し、インターンを選んだのではないか。果たしてそれは必ずしも正しいか。



悩みに悩みまくった結果、とりあえず行ってみな分からんなという結論に達した。身の丈に合わない素晴らしい機会をもらったことは間違いない。それに感謝して、優秀な人をたくさん見てこよう。

2010年7月4日日曜日

キャリアフォーラム、初面接、初内定

キャリアフォーラムへ行ってきた。キャリアフォーラムとは、実際留学経験者を対象とした面接大会といった感じだった。計二日のフォーラムで、二日目には二社に履歴書を出してみた。そうすると、両方から面接を頂き、結果計8回の面接を一日で受けることになった。英語面接の経験になれば、のつもりで行ったので予想外である。

しかし、その面接の過程はどれもかなり面白かった。英語でケースを解いてみたり、お互いの腹の探り合いをし続けた印象もうけた。また、実際面接を通して、業界を詳しく知るきっかけにもなった。結果、現段階で内定までいただいた。

ただ、この段階で、これで本当にいいのか?と迷い始めている。ここで決めてしまうと、就職活動はたった2日である。正直、期間が短すぎたために、他の可能性/業界をもっと見てみたいという気持ちが抑えられない。この業界でさえ、もっと深く見てから最終的な決断をしたいと願うのは、いけないことだろうか。

2010年6月30日水曜日

焦って

いる。インターンに向けた就職活動がはじまってきたことが原因と考えられる。焦っているとは具体的にいうと、自分のやってることにはっきりした自信が持てていない気がする。

自意識過剰くらいでちょうどいいくらいの業界が志望業界なので、それを自分に言い聞かせてきたが、周りに対して臆している自分に気づく。基本的にびびりなのは知っていたけど、まったく、情けない。

今は、自分のペースを取り戻すことに集中しよう。なんだって、とって食われるわけじゃない。自分なりに学ぶものがあったなら、それが人と違っても、必ず価値のあるもののはずだから。

2010年6月25日金曜日

Time flies

一ヶ月たった。なんと帰国して一カ月も経っている。そこで最近思うことが一つある。

本当にいたんだろうか?

なんだかカナダに自分が一時でも住んだというのが嘘みたいに感じる。よく言う夢でも見てたみたいってこういうことか。カナダに慣れ、毎日の生活をルーティン化し、ここに住んでいるのだ、と現地で感じるには半年かかった。ところが、帰ってきて、日本に帰ってきたんだーと感じるには一週間で足りた。今カナダにいた自分をウソみたいに感じる理由である。やっぱり私の根っこはこっちに生えていたんだなと思う。一時離れても、帰ってきて奇妙な感覚を味わったのは本当に短い期間だった。ただ、だからこそ嘘みたいで終わらせたくないし忘れたくないことがいくつかある。

一つは、いい意味で他人の目を気にしなこと。カナダ人は人がどう思うかについて、いい意味でも悪い意味でも鈍感であった。人前でキスもするし、太ってようがなんだろうが、出したければ露出の高い服も着る。年をとってもダンスを習うし、お構いなしに相手をパーティに誘う。それが100%いい事ばかりであるという訳ではない。ただ、他の人の目線を気にしすぎて自分の気持ちが死んでしまうのは、日本人の悪いところでもあると思う。バランスを大事にしながら、少し自分の欲求に素直になる気持ちを持ち続けたい。

二つは、英語は発音でないということだ。カナダは移民の国である。だから、いろんなアクセントで話す人がたくさんいた。ただ、アクセントはすなわち「下手」ではないのだ。授業中でも、ゆっくり、しかもアクセントたっぷりでも、いわゆる「美しい」英語を話す人はたくさんいた。下に字幕がでていたら、彼らのいわゆるアクセントつきの英語でも、どれだけ美しいかが見えるはずである。英語のうまさはフロウである。それが英語のうまさを決めている。発音は最後に行う手直しであり、いちばん重要でないとまず気付かせてくれたのは、英語の先生だった。日本では、発音のきれいさ(日本語の強いアクセント)=流暢さ(下手) であると勘違いしている人がたくさんいるし、実際私もそうだった。しかし、今なら違うと言い切れるし、今自分が少なくとも英語という言語の範囲内では、向上に向けてどのように努力を続けるべきかも見えた。

三つは、世界にはたくさん優秀な人がいるということだ。マギル大学には、いわゆる天才、がやはり結構いた。そして、そんな環境での勉強は非常に刺激的だった。できないこともたくさんあったけど、そこで戦ってなんとか生き抜いた自分にかなりの自信を持って帰ってきた。就職活動中も、周りに気圧されず、この自信を忘れないようにしたい(さもないと途中でつぶされそうな気がしている。予感だけど。)し、将来あんな化け物達とたたかう可能性があることは、常に頭にいれておこう。

2010年5月22日土曜日

いよいよ

帰国である。5月に入ってから、時間が経つのはあまりにもはやかった。両親も含め訪問者を持ったことが理由の一端であるが、それにしたって週明けに帰国とは。

最近はお別ればかりしている。そしてそのたびに隠れて泣いている。もう悲しくて泣いてるのか、嬉しくて泣いてるのかさえ分からない自分は、なんて恵まれているんだろうと思う。本当に、いい人にたくさん会った。

日本から来る直前、お箸を三膳買った。京都の嵐山に遊びに言った際に買った竹でできたものである。こちらカナダで、本当に心からあげたいと思える人を、最低3人はつくろうという意味を込めていた。しかしこちらに来た当初、これは三人どころか、一人だってできるのかと思えるほど、生活も人間関係も厳しかった。適当な知り合いにばら撒いて帰ることだろうと思われた。

今、手元には一膳も残っていない。最後にはどうしてもっともって来れなかったかと悔やんだ。すべての感謝したい人から3人を選ぶことが、どれだけ苦痛だったか。一膳は家を追い出されたときとめてくれたInternational Buddyに、一膳は一学期、クラスではじめてできた友人で、彼女の帰国寸前まで、いろいろなことを腹を割って話し合えたデンマーク人留学生に、最後の一膳は、こちらの生活が辛かったときそばにいてくれて、カナダ人と日本人の違いを、恋愛観から日常生活まで教えてくれたカナダ人の友人に。

でも、100膳あったって足りなかったのだ。そんな事実に感謝せずにいられない。私は、本当に幸せものだ。

日本から9ヶ月はなれて、細かい様々なことを忘れている自分に気づく。たとえば、日本の電車にはそういえばつり革があったな、とか。だから、カナダから発つ自分は、おそらく今ここカナダで見て感じていることも徐々に忘れていくんだろう。それを思うと、悲しくて、悲しくて、なんだかまた泣きそうになって、しめっぽいねん!って自分につっこんだりしながら最後の時間を過ごしているが、ここであった人たちのことは、死んでも忘れたりなんかしない。(忘れたら自分を撃つ必要がある。こちらの友人がこの表現が好きだった)

皆も私のことを少しでも覚えてくれたらいいな、と思う。目立ったことは特にしなかったが、多分チョコレート中毒の日本人としてでも頭の片隅に残っていれば、これ以上嬉しいことはないだろう。

2010年4月28日水曜日

ちっぴんぐ

こちらにきた日本人がまず慣れなければいけないのは、疑いようもなく「チップ」である。これがまたなんともややこしい。合計金額の10-15%をチップとして渡すだけなのだが、これが実は想像以上に複雑である。

まず、合計金額とは、課税前の合計を意味する。ので、課税済みの金額に10-15%を足すと、少し多めに支払ってしまうことを意味する。加えて、払い方も様々である。大目に払って、おつりをもらい、チップ相当額をテーブルに残す払方。チップを含めてちょうどの金額を払い、「Keep Change」といって、おつりを受け取らない払い方。もしくは、「これ~ドルにしてくれる?」と言ってチップ込みの金額を指定する払い方。バーでは一杯ごとに1ドル程度大目に渡す。

また、クレジットカードで支払うときには、自動でチップが加算されるとき、自分でレシートに書き込むとき、機械に入力するとき、チップを別でコインで渡すとき、等々。めんどくさすぎるので、私はクレジットカードでは払わないが。

ので着た当初は恐ろしくてレストランなどに行けなかったが、最近いい加減なれてきた。しかしそれにしても、なんでこんなややこしいことをするねんと憤慨していたが、その理由がまた最近になって見えてきてもいる。

まず、レストランの従業員などは、最低賃金以下で働いている。というのは、チップをいれて、やっと最低賃金に届くように賃金が設定されているからだ。ので彼らにすると、チップはご褒美ではなく、「もらわんとやってられへん」ものなのである。またこれは、あるいみインセンティブ制度といえよう。固定賃金でなく、従業員の働き振りがある程度賃金の一部に直接反映されているとはいえないか。

加えて、これは税金対策でもあるらしい。売り上げの課税は、チップを入れない金額を対象としているので、店側は、チップ制度をもつことで、少ない額の税金ですむことになる。うーむ、賢いんだか何なのか。

なんにせよめんどくさいことには変わりない。あと、いいサービスがいわゆる常識である日本のレストランには必要のない制度である。税金対策に追われる雇用主たちが、血迷ってチップ制度を日本に導入しないことを祈る。

2010年4月26日月曜日

おつかれさまでした

先日Organizational Policyの期末試験を受け、学期がとうとう終わった。そして、これをもって私の交換留学は終了である。簡単に振り返るには、語るものが多すぎるし不可能である。学んだことは、多い。本当に、多い。

いまから一ヵ月後に帰国となる。残りは、カナダでの毎日をゆっくり楽しむことに決めた。訪問者が他国から何人かくるのも楽しみなところである。忙しすぎて、モントリオールを観光する暇が本当になかったので、行った事のない数々のミュージアムやアートギャラリーを回っていくことにしよう。ドイツにもらえそうになったインターンシップを逃したのは本当に惜しかった。だが、5月から働くのは実質不可能なので、もうもとからなかったものと考えたらいいだろう。

ここから時間が過ぎるのはとてつもなく早いだろう。それが少し怖いのと同時に、久しぶりに母国の地を踏むんだという生まれてはじめての感覚を楽しんでいる。

2010年4月18日日曜日

生、野菜

授業中、隣の女の子がタッパーをとりだした。授業中に飲み食いすることはここでは結構当たり前なので、あ、早弁かなーとか思いながらチラッと見ていたら、なんとその中に入っていたのは「生野菜」。隣の子が食べていたのは、にんじん、セロリ、ピーマンだった。なんというか、あらって二等分くらいに切って、そのままタッパーにいれてきたかんじだった。となりでそんなぶつ切りの野菜たちをなにもつけずにばりばりいいながら食べている彼女を唖然としてみていた自分を思い出す。



こっちの人はいろんなものを素材のまま食べる。りんごの皮など剥こうものなら、なんて繊細な、といった目でみられる。うちがうさぎさんをりんごで作ったら何というだろう。まあなんにせよ野菜は体にいいので特に文句はいうまいが、なんというか彼らはワイルドである。



ところがある日、ベビーキャロットが安売りだったのでかってみた。いつも肉じゃが等につかうが、ふと、生で食べてみることを思い立つ。これが、以外に美味しい。にんじんは自然に甘いのだ。料理したって彼らは甘いが、それとは違う甘みだった。ぽりぽりと食べているうちに、一日で一袋終えてしまった。

味覚感覚がこちらに近づいてきているのか、にんじんの秘めたポテンシャルに気づいたのかどちらだろう。

2010年4月15日木曜日

ぱぱ、子育てに従事す

今日は素晴らしくいい天気だった。友人との約束が夜だったので、夕方から散歩がてら学校から歩いて帰ることにした。まったく、濃い、濃い青空である。空気がきれいなせいだろうか。

いつも歩く道と違う道を選んでみたら、住宅街の中の小さな公園を通り過ぎた。そこでは、わんさかと小さい子供が遊んでいたのだが、あれ、と思ったのは、お父さんがたくさんいたことだ。6時過ぎである。彼らはいかにも今仕事から帰ったというような感じでスーツのまま、子供たちを遊ばせたり、よそのお母さんと話をしたりしていた。違和感を感じたのは、これが日本にない光景だからだ。平日、6時。まあ、日本では休日でもない限り、父は進んで子供と公園に来たりはしないだろうし、そもそも6時に家に帰ってこれるというのもなかなかないのではないか。

こんな小さな公園で、男女分業とカナダのワーキングスタイルの縮図をみた。カナダ人は男女とも子育てを分業し、職場も家庭の時間を守る仕組みになっているんだろう。こういう家庭を将来、自分のパートナーと築きたい。自分の夫と子供の成長を平等に分け合いたい、と感じた。

2010年4月14日水曜日

フランス語

「フランス語できないの?」と聞かれることには慣れている。ここケベックはフランス語が公用語だ。たとえほとんどの人が英語とのバイリンガルだとしても、彼らは英語の侵食に対するフランス語の保持がケベックの文化の保持であると信じているため、英語スピーカーに対して大変冷たい。そもそも私は日本語スピーカーであって英語スピーカーでないのだが、といってやりたい。まあそれも、時間とともになれるもので、はいはい、できませんよーごめんねーといった感じであしらえるようになった。しかし、ひとつどうしても納得できないことがある。

それは私の英語の授業で起こった。当たり前ながら、私の英語の授業には、フランス語を第一言語とするマギル大学生が英語力の向上のため多く勉強している。ある日、英語の表現力を高めるためのグループワークで、3人のマギル大学生と授業内で作業する機会があった。そこでその3人の内の一人が私に尋ねたことは、まさに「あなたはフランス語できないの?」であった。当然私はそれに対して、「できない」と答え、彼女は「いいわよ、英語で話しましょう」と応答した。

ここで、私は普段なれているはずのこのフレーズに、とてつもない不快感を抱いた。まず第一に、ここは英語のクラスである。彼女は一体何をしに来たのか?私がフランス語ができたとしたら、フランス語で話すつもりだったのだろうか?自分の英語力の向上のためにここに座っているのではないのか?また第二に、できない、と私が答えた彼女の返答である「いいわよ(I don't mind)」という言葉は、なんや、できひんのか、という私がDowntownで頻繁に言われる言葉だが、なぜここでその屈辱を受ける必要があろうか。もう一度言うが、ここは英語系大学の、その上英語を学ぶクラスである。どうして私が、罪悪感を持つ側でなければいけないのか。

友人は、お互いを理解するためには、自分が一番使い慣れた言葉を話す必要があるからそう言ったのだろう、というが、それは必ずしもここには当てはまらないと私は信じる。仮にこれがManagementのグループワークで、グループメンバーが全員フランス語を話すなら、より深い理解のために共通の言語を話すことに対して私はまったく反論しない。しかし、英語のクラスと、Management等一般のクラスとは、そもそも最終的な目的はまったく異なる。一般のクラスの目的が効率的で深い理解であるのに対し、英語のクラスの目的は、表現力の向上と伝えようとする努力である。伝わらないなら、伝える努力をすることがそもそもの目的であるのに、彼らの考えはそれを見過ごしていないか?


私はそれを文化の保持と呼ばない。伝えることの怠惰であろう。慣れているはずのフランス語スピーカーからの軽視が、この日は最も不快だった。そしてこういった感情は、観光でただモントリオールを訪れた人や、フランス語を流暢に解する人には、なかなかわかりにくいものなのかもしれない。

2010年4月13日火曜日

どあ

カナダでは、ドアを開けたとき、後に来る人のために開けて待ってあげるのが常識である。うむ、日本でまったくそれがなかったとは言わないが、ぼんやり覚えている限り、それほど常識でなかったように思う。こちらでは、自分が出るためだけにドアを開けると、後ろの人になんでやねん、みたいな目で見られる。逆に、開けてもらったことに感謝しすぎると、なんやこのこ、みたいな目で見られたりする。

ということに気づいたのは、友達とドアを出たときに、私がうっかりドアを開けて待っているのを忘れて、友達がドアに激突したからである。うーん、慣れというのはなかなか抜けないものだ。また一方で、前の人がドアを開けて待っててくれることを無意識に期待している自分にも気づく。

これはいい文化だなと思う。見ず知らずの人に気軽にできる優しさだ。しかし、いまだなれない私は、後ろのどこまで遠くにいる人にドアを開けて待っていればいいのか分からずにいる。

2010年4月8日木曜日

学期も終わりに近づくにつれ

プレゼンラッシュがやってきた。とにかくミーティングとリハーサルの嵐だった。今日三つ目のプレゼンテーションを終えて、残すところ、プレゼンテーションは後ひとつである。さて、と思って振り返ってみる。

グループワークは嫌いだった。散々いい続けているが本当に嫌いであった。しかし、今ふと思ってみる。私がこれらから得たものは、何にも変えがたいものがある。グループのミーティングの前には、緊張して、自分が集めたものをしっかりと伝えられるか心配もして、寝れない日もあった。そして、十分伝え切れなくて落ち込んでメトロに乗った日は、数えるのが馬鹿らしいほどあった。しかし、今それらのOutcomeを見てみると、やはりやる価値はあったのではないか。

Advertising Managementのグループワークでは、メンバーのスケジュールの管理を積極的に受け持ち、空いた時間でひたすらリサーチをした。Organizational Policyも、リサーチとそのサマリーをわかりやすくメンバーに提示することを心がけ、使われるかどうかなど気にせず、とにかく突き進むことにきめた。結果としてグループはしっかり私の努力に気づいてくれたし、言語のため大変重荷になっているにもかかわらず、暖かく迎えてくれた。プレゼンテーションが終わったあと、チームメイトがYuka!Good Job! と言ってハイタッチしてくれたことが忘れられず、その日はうれしくて寝れなかった。またほかのチームでは、「Yukaが日本に帰る前にパーティをしよう!」とまで言ってくれた。

なんだか、終わりよければ、ってこういうことか。と思った。結果として少しでも自分がグループに貢献できて、彼らの記憶に私が残るなら、こんなにうれしいことはないだろう。プレゼン後、一言もチームメンバーと話せなかった先学期と比べて大きな進歩だと、自分を自分でほめている。

といっても、やはり完璧には程遠い。本当のビジネスでは、言語が満足にできないことはひとつの仕事に人より多くの時間をかける言い訳にはならない。ただ、今ぐらい自分をほめてやっても罰は当たらないだろう。

2010年4月4日日曜日

春。

急に春が来た。一週間ほど前まで雪など降っていたのに、昨日からいきなり25度である。この国に春が来るなんて、冬の極寒を生きていたときは想像できなかったが、やはり春は「匂い」で分かるものだ。この匂いはきっと春が存在する国で万国共通だろう。

そうすると面白いもので、そんな匂いは過去のいろんな経験を鮮明に思い出させてくれる。はた、と思い出したのは、面白いことにずっと昔に一緒にいた恋人だった。こんなことをいきなり書くと空気が読めないなどとまたおこられそうだが、今になって考えることがたくさんあるな、と感じる。

「人は、精神的に一人の人しか同時に愛せない」と、こちらカナダの友人に言ったことがある。まったくそうであるとおもうが、そうであってほしいと願う気持ちの方が強い気がする。そして、自分がかつて犯した不誠実も思い出した。

たもはめっちゃ寂しがり屋である。いつも誰かと一緒にいたい。そして、誰かに必要とされたい。必要とされることに存在意義を見出し、それを感じられないときに極度の不安に襲われる。そして、必要なときに、気づいて、そばにいてほしいと願う。やはり、これはなくてはならない最低条件であろう。お互いに必要であると感じられない関係に、愛情は生まれないのだろう。

誰かに訴えかける訳でなく、ふとそんなことをもんもんと考えながらメトロ(地下鉄)に乗り、また明日も似たようなことを考える気がしている。暇人と呼びたければ呼べばいい。期待しないことが一番の近道と知りながら、少し待ってしまう自分もあまり好きでない。

春の匂いがこんなへんてこな連想をつれてきた。精神的に病んでいるのは私に違いない。

2010年3月11日木曜日

step by step

最近グループワークが前より辛くなくなったな、とふと思った。以前は、あああーと思っているうちに終わってしまったグループワークに、わずかながら毎回自分の足跡を残すことができている、と感じる。気のせいかもしれないが。

言語(英語)力の向上もあるだろうが、理由はそれだけでないように感じている。たとえば、以前は重荷になっていることが引け目になってできなかったが、グループの言っていることに疑問を投げかけることを、もっと積極的にするようになった。また、グループメンバーとの関係作りにもっと注意をおくことも重要だと思った。授業と関係ない話をするのもいい。自分が話しやすい雰囲気を、自分で創り出すという努力の大切さを毎日学んでいる。また、自分が貢献する意思があることを、前面にみせることは、やはり何より大事だというのを、身にしみて感じた。努力は、時に気づいてもらえるんだと本当の意味で理解した。

とはいってもグループワークはやっぱり嫌いやけど。ただ、ここでしかできないことをして、それから学ぶことがあったのは、やっぱり感謝すべきことではないだろうか。

2010年3月9日火曜日

日本語スピーチコンテスト

昨日、日本語スピーチコンテストに行ってきた。日本語を勉強しているフランス人の友人に誘われて興味本位で行ったのだけど、正直、感動した。

日本語のレベルは人によってまちまちだったが、話している内容は、どれも素晴らしいもので、訴えかけるものが多かった。特に優勝者のスピーチは明らかに際立っていたと思う。彼女は、ケベックにおけるアイデンティティの特性と、自己の生い立ちを比較しながら話していたように思うが、まさに私が日ごろ感じていた物を目の前に突きつけたといった感じだった。ケベックにおいて、ここに育ちながら、もしくはここに住みながら、ここに属さないと感じる人は多いようだ。それを、独特の視点で捉えた見事なスピーチだった。

また、こんなに日本から離れた国で、日本語を勉強している人がこんなにいるのか、という事実も、私を驚かせた。彼らのうち何人が、将来のキャリアを日本でとるだろうか。日本人もしくは日本政府は、こういった人たちに対して、それ相応の注意を払うべきである。

2010年3月8日月曜日

恋愛観 長期思考、短期思考

カナダ人はいろんな点において日本人とまったく異なっている。顕著であるのがいわゆる「恋愛観」だと信じている。さてさて、何が違うのか、というと、危険な一般化は避けたいところだが、平均的に見て彼らはかなり短期思考だと感じる。付き合う期間しかり、これだと決めるにかかる時間しかり。いわゆる「お試し」がもっと受け入れられているような印象である。

試してみないと、相性がいいかどうかわからない。言われてみればまあそうである。ただ、試されて相手が本気になってしまったらどうすんねん、とつっこみたくもある。それは相手を傷つけたりしないのか。もしくは、お試しが受け入れられているこの国では、それは前提として相手にとっても当たり前になっているのか。

それに比べて日本はかなり恋愛に関して長期思考だと思う。これと決めて、気持ちを伝えるまではカナダのそれと比べて、長い、と信じる。どうしてだろうか。気持ちが受け入れられるか定かでなくて、伝えるべきか思い悩んだ経験が誰にもなかろうか。1年ほど温めたまま、結局言わずじまいになった友人もいる。それは同時に、相手が自分に適当な相手か、見定めている期間ではなかろうか。気持ちを伝える前に、比較的相手のことをもっと知ろうとするのが日本人に良く見られるように、個人的に感じた。

日本の離婚率は、かなり低い。それがこれと直接の関係を持つかどうかは定かでないし、それを正当化したり美化するつもりはない。しかし、考えることや思い当たることはかなりある。

2010年3月6日土曜日

性格

こっちにきてから、性格が変わったと言われたことがある。言われてみれば成る程、そうかもね、とも思う。ひとつ顕著であるのが、言いたいことをもっとストレートに言うようになった。

日本での私の性格をscale強弱でみれば、明らかに強、であった。性格はもともときついほうである。その生まれながらの性格に加え、こちらで、一人で生きていかなければいけないという事実は、さらに私の性格をいい意味でも悪い意味でも、きつい方向へ変えていったんだと思う。

たとえば、こちらに来ていわゆる「本気でキレた」ことが2回ある。日本ではあれほど怒ったりどなったりすることは、大学生活でも高校生活でも一回もなかった。別にそれで日本において不自由を感じたり、我慢してる、とか感じることはまったくなかった。というか、一般的日本人に比べて、たもは明らかに横暴な振る舞いをしていたことを認めざるを得ない。2回のうち1回はルームメイトに対してだったが、それはまた後述することにする。それ以外でも、日本では言わないようなことを、しばしば平気ですらっと言ってしまう自分にたまにぎょっとする。

実質誰も助けてくれない状況では、環境をかえたり、大きな力にあがらうために、個人は強くなる必要がある。加えて、カナダの個人主義な環境も、部分的な理由は与えていると感じる。ただ、日本に帰ってから、友人づきあいがどうなるのか心配でたまらない。

2010年3月5日金曜日

時間

時間が経つのははやい。もう、二ヶ月で学校は終わる。たもの帰国のフライトチケットは5月後半にいまのところなっているようだ。

生活に慣れた。やっと最近になって慣れた、と感じた。生活に余裕が生まれ、些細なことを楽しむゆとりもできた。なのに、もう帰らないといけないのか。あんなに帰りたかったのに、今、こころから喜べないのはなぜだろう。

マギルの交換学生は、この交換留学を微妙、と呼ぶ人が多い。マギル自体が交換留学の制度を整えていないことも理由のひとつである。私自身、そう感じることは多かったが、(とくにadministrationの面で)今、交換留学全体に対してまだ結論は出ていない。

こちらに来てから、一日たりとて、寝て過ごしたことなどなかった。いつも何かしていた。それをあわただしいとも呼べるが、充実と呼んでも許されるだろうか。何をしてもし足りないと感じるのは貪欲さか向上心か。最近帰国が近づくにつれて考えずにいられない。

2010年3月2日火曜日

友人

たもは、来た当初からずっと、友人をつくるのに必死だったといっていい。日本人のコミュニティ(JSAとこちらでは呼ばれている)には入らず、ひたすらにこちらでのコネクションを求めていた。もちろん来る前からそう意気込んできたが、来た当初のホームレス経験から、人的つながりをさらに貪欲に求めるようになった。パーティや集まりがたとえ知らない人の塊でも、果敢に何度もとびこんだ。これらは、こちらの人々にとっては普通のことかもしれないけれど。

ただ、最近、特に新年が明けてからふと立ち止まって考えるようになった。私はいったい何をしたいのだろう、と考えずにいられなくなった。正直、心地よく感じる関係に身を浸すことに罪悪感を感じ、とにかく前へ進むために貪欲に新しい出会いばかりを求めていたような気がしてならなかったからだ。そんなことを考えているうちに、ひとりの過去京大の留学生とSkypeで話す機会があった。とりとめのないことをたくさん話したが、その流れでこんなことを話してみたら、本当に私が、それほど多くのつながりをもとめているのか、と聞かれた。Facebookにただ加えるだけの友人は、果たして将来どれだけ私の人生に影響するだろうか、と。

いわれてみれば当たり前である。しかし、私にしてみれば衝撃的であった。今になって気づいたが、私の人的ネットワークの広げ方は、こちらでは日本のそれと比べてかなり過激であった。それを私はいつも楽しんでいたわけでなく、時につらいときもあったが、そういうものも留学の一部だと思ってひたすら勤しんでいた。彼、その京大での留学生は、私に言ってみれば大きな安心感を与えてくれたともいえる。もうそんなに頑張らなくてよい、といわれた気がしたからだ。気の合うひとと残ったときを過ごして何が悪いのか、と。

留学での友人関係とは非常に難しい。限られた時間であるために、できるだけ多くの人と知り合いたいとも思うし、一方で日本のそれと同じくらい深い関係にはやはり短い時間といえる。だからこそ、学ぶことも多いのか。

2010年2月22日月曜日

Snow snow

寒いのはきらいである。でも、今年は例年と比べて異常にあったかいらしい。日本人にすれば、雪が降っている日=寒い。であるが、こっちではちょっと事情が違う。雪が降ると、雪が寒さを吸い込むらしく、-1度程度で済み、比較的暖かい。雪が降った次の日か、次の次の日くらいがめっちゃ寒い。

雪がふったばかりの朝は、息を呑むような美しさである。まさに、白。これ以上白くなれないほどの、白、だ。雪は京都でも見たはずなのに、これほど白かったか、と思ってしまう。何度か写真も撮ったが、実際目の前で見るのとはやはりまったく違うものになってしまう。

これほどたくさんの雪を見ることは、多分人生でなかなかないだろう。写真に残せないなら、目に焼き付けておかなければ。

2010年2月19日金曜日

reading week

明日から10日ほど休みである。北アメリカではstudy break とかreading weekとか呼ばれてて、まあ勉強しろよーの休みだが、皆旅行など楽しんでいる。


たもは友達が日本から来るため、しばらくモントリオールを見せてからトロントに旅立つ予定である。それを除いても、ちゃんと目標は立てておこう。

たもはとりあえず、reading weekならでは、その名前にしたがって、めっちゃリーディングをすることにする。時間があるときはカフェに行こう。そして、いっぱい本を読もう。

考えてみたら、娯楽本なんて読んでる時間は一ミリもなかったといっていい。もともと読書は大好きだし、ここカナダには英語の本があふれるほどあるというのに、なんと勿体無い。これを絶好のチャンスにしなければ、また授業が始まったら図書館にすむことになるんだろう。

今読んでいる本は確実に終わらせることにする。そして、友人にもらった本もそろそろ始めないと申し訳が立たない。

2010年2月18日木曜日

七転び八起き

私は基本的にグループワークでお荷物である。もとからマギル大学の学生と対等にやろうとは思っていないが、英語がどうしてもついていかず、がっかりすることがたくさんある。

一対一の会話はそれほど問題ではない。ただ、グループでの会話はついていくので精一杯である。(会話が白熱しているときはなおさらである)また、プレゼンテーションも他のカナダ人のようにできるわけがなく、日本語のプレゼンテーションより何倍も練習に時間を割いたって、やはり躊躇してしまう。グループレポートも、私のパートにいつも添削が必要である。はじめに比べて、かなり改善が見られるものの、すべてを克服するのはまったく不可能である。

日本でのグループワークではどちらかというとリーダーシップをとるほうだった。仕事をふりわけ、まとめる方が好きだし、自分に合っていると思っていた。それゆえに、自分が常に助けを必要としたり、他のチームメンバーと対等にできないことに、かなりのストレスと引け目、加えて申し訳なさを感じていた。


今日もそんなことをもんもんと考えながら、がむしゃらにレポートを書いていると、ひとりのグループメンバーが歩み寄って、声をかけてきた。

たもはグループメンバーと話をするときが一番緊張する。というのは、迷惑をかけている引け目や申し訳なさが、先に飛び出してしまうからだ。彼とのチームは、全員がnon native speakerで、皆フランス語を母国語としている。もちろん彼らはマギルで三年以上勉強しているため、コミュニケーション等、英語にまったく問題ないのだが。そんな中で、彼は特に英語に卓越しているため、私のレポートを時間もないのにいつも書きなおすことになっている。レポートの提出後にチームメンバーと会うのは、私にとっていつも苦痛であった。

とりとめもない話をした後に、いつもどおり立ち去るかと思いきや、急に彼は振り返って言った。「正直、ゆかのレポートの英語は、他のメンバーより、ずっときれいだったんだよ」

一瞬、正直彼が何を言ったのかわからなかった。が、3秒かけて消化したあとには、really、としか言えなかった。それほど私には衝撃的だったのだ。それが彼の本心なのか、ただの優しさなのか、そんなことはわからない。ただ、嬉しすぎて言葉より先に涙が出てきそうだった。ずっとずっと感じていた劣等感の一部を、彼が取り除いたといっていい。

きっと彼は何気なく言ったんだろうけど、その言葉が私をどれだけ助けたなんて、知るはずないんだろう。こんな感情の浮き沈みで毎日生きている。でも、多分、これは一生忘れられない一瞬だったな、と思う。そんな彼に、心から感謝したい。

2010年2月15日月曜日

帰国?

最近、帰国のことを良く考える。帰ってから何をしたらいいのだろう。ここで、私はいったい何をしたのだろう。

わかったことは、カナダは私のホームにはなりえないということだ。やはり、私の母国は日本である。文化の差を如実に感じる交換留学である。本当に fit inするというのは、やはり不可能であるのかもしれない。一人、本当に優しいカナダ人にあったが、彼との間にさえ感じた差に、また寂しさを覚えたこともある。

日本にいた、アジア外からの留学生はどのように感じていたんだろうとふと思ったりもした。いろいろ顔を思い浮かべてみて、彼らはどれだけ日本を自分のホームと感じていたのだろうか、と考える。

私は結局visitorなのだ。8ヶ月そこらで準カナダ人になることなど不可能だし、なる必要もないだろう。

2010年2月5日金曜日

かふぇ

カフェが好きでたまらない。こちらはフランスの影響を受けてかイギリスの影響を受けてか、もしくは北アメリカの特性か、カフェの文化が濃い国である。モントリオールにいたっては、まさに2ブロックにひとつあるといっても過言ではない。まったく多い。そして学生の多いこの町では、カフェは第二の図書館である。分厚い教科書をひらけて黙々と勉強する学生を良く見かけるし、図書館に病んだたもも良く来る。

コーヒーなんかはかなり安い。1.7ドルくらいで飲めてしまうため、まじで勉強したいときはコーヒーだけ買ってあとはひたすら本と格闘する。あと、となりのおじさんが話しかけてくることもよくある。取り留めのない話をしては、自分のとった時間の濃さに満足する。

落ち込んだときもよくカフェに行く。紅茶と胸焼けしそうなくらい甘いお菓子をたべながら、ガラスの外を忙しそうに歩いている人を何時間も見ている。すると不思議と、急にポジティブになったりするんだから、人間とは単純である。

こういう文化はいいなと思う。日本のカフェでたまに見かける、「学生勉強お断り」の注意書きは、カフェという場所を、時間を提供する空間から、コーヒーを消費するベンチに変えている。世界一忙しく疲れている日本人にこそ、必要な場所なはずなのに。

2010年2月3日水曜日

料理

たもは料理が苦手である。というのは、日本にいたときは両親と住んでいたために特に必要性もなく、めちゃめちゃ基本(いわゆる肉じゃが等)しかしらなかった。

しかしこちらカナダに来ては話が別である。外で食べると馬鹿らしく高いため、毎日自分で作ったものを基本的に食べなければならない。えーじゃーめっちゃ料理うまくなったんちゃうん!と思ったらまたそれも話が違う。

うまくなった、というより効率が良くなった、というべきか。同時にいろんなことをすることがうまくなった。これをゆがいてるあいだにあれしてこれして、といった具合に。あと、大量に作ってしばらくそれで生きるのも効率性か。(不健康と呼びたければ呼べばいい)スーパーで見かける奇妙な食材にも果敢に挑戦している。

こういったのも大事な勉強かなと思う。カナダに来た際にはたもの手料理を食べてください。

2010年1月22日金曜日

Trap

ちょっとヒヤッとしたことを書いておく。たもはカナダでヨガを習っているのだけど(先学期はベリーダンスのレッスンに行ったりもしたが)今日ジムで着替えを終えて、ヨガのクラスに行こうと階段を下りていたら、ふとこれがいつもの階段でなく、間違えて非常階段を下りてきていたことに気づいた。あ、いかんいかん、と思って戻ろうとすると、なんと、入ってきたドアが開かない。

は?と思って何回も押したり引いたりしてみても、まったく開かない。どうやら非常階段は、逆からは開かないようになっているようだ。ええええーーー!どうしよーーー!汗 と思ってドアについてる小さい小窓から誰か通らないか見ていても、まったく誰も見当たらない。違う階のドアを見てみても、完全にロックされていた。

まじで!?と思って、残された私の道は、非常階段の最後の出口の一階から直接外に出るドアだったが、開けてみるとそこは一面の雪景色と高速道路。そして、ヨガに行こうと思っていた私は素足。いやいやいや!!

ここからは出れんわ!と思った私はもうひたすら誰かからの助けを待つしかなく、とにかくドアを中から叩きまくっていた。と、そうすること10数分、幸運なことにインドアテニスをしていた男性が気づいて向こうからあけてくれた。彼いわく、たまに私のような不運な生徒がトラップされることがあるんだとか。

大学とは怖いところだ。こんなにたくさんの生徒がいるんだから、一日に一人くらいこうして神隠れしたって気づかないに違いない。

2010年1月18日月曜日

ホッケーゲーム

昨日インドネシア人の友人とホッキーゲームを見に行った。hockeyは日本で言う野球である。つまり、カナダの国民的スポーツだ。その熱狂振りといったらすごい。hockeyをテレビ観戦する用のbarまであるし、夜地下鉄でホッキーのユニフォームを身にまとう人をたくさん見つけたときは、大抵試合があったときである。

とは言うものの、忙しすぎて先学期はそういったものを見に行く時間はなく、プロの試合は高い。ので、時間があるこの時期に、マギル大学対名も知らぬどこかの大学の試合を見に行った次第だ。

正直あまり期待していなかったものの、実際の試合はすごかった。観客と、試合リンクの距離が近い。というか、近すぎて怖いくらいだった。展開が速すぎて目で追うのがやっとである。また、彼らは非常に攻撃的で、試合中乱闘が幾度となくあったし、壁に激突することは至って普通、観客の野次もあからさまで、You guys suck!!などと、ことあるごとに叫んでいた。

McGill とConcordia 大学はお互いモントリオールにあり、学術的にもライバルであるためか、ホッキーの試合も非常に盛り上がるらしい。うん、また見に行かねば。

2010年1月8日金曜日

げい 愛の形?

新年早々何を書くかと思えば、ちょっとゲイについて述べておかねばなるまい。というのは、今私が引っ越したアパート周辺にはゲイがたくさんいる。一番の理由はゲイの楽園、ゲイビレッジなるものに近いせいであるが。

はじめは衝撃的だった。スーパーで買い物をしている、手をつないでいる等々、日本では見ることのできない光景に結構出くわす。カナダはそういう意味で移民のみならず、こういった社会的マイノリティーに対して、比較的に開けた国であるのかもしれない。

驚いたとはいっても、ゲイの人々はまったく無害である。というか、むしろ自身が社会的に冷たい風にさらされることもあるためか、私のような外国人にも暖かく接してくれる。そういった優しさは、フランス語ができないため日常的に言語差別を受けている私にとって、やはりありがたい。

ただ私がこういったゲイの人々、考え方を、バイアスなく、心から理解しているかというと自信を持って頷けない。私の経験不足もあろうが、なんにせよこういったものは時間がかかるのだ。

2010年1月1日金曜日

今年を振り返って

この一年は怒濤だった。そして、そのほとんどを準備も含め留学が占める。したことがない、ということをいやと言うほどやって、不条理な目にも本当に、本当に死ぬほどあった。

しかし、ここから学んだこと、と思ってゆっくり考えてみる。この地に降り立つ前は、経営を違う視点から学ぶこと、アジアとまったく違う文化を体験すること、そして、語学力をつけること、が目標だったかなとぼんやり覚えている。

では、実際何を学んだだろう。上記のものは、当たり前のように体験できた。しかし、それ以上に学んだ、というか気づいたことは、今まで自分が、とても守られた、そしてとても恵まれた環境にいたということだった。

離れて気がつくとはまさにこのことである。日本には、家族や、古くからの友人がたくさんいて、頼りになる先輩、教授をもち、「わからないことは誰に聞けばよいか分かる」という環境に、当たり前のように浸っていた。しかし、それはどれほど恵まれたことであったか。

自分の持っていたものに改めて気づくなんて童話の「青い鳥」のようだが、やはり童話にはそれだけ人の経験に基づいたメッセージがあるんだろう。身をもって体験できたのはやはり素晴らしいことだった。
なんて書いてみても、じゃー今は恵まれた環境でないんかいーと思ったらそういうわけでもない。国から奨学金を2つも頂き、両親に支えられ、いつの間にかできたこちらの友人にも助けられ、ああ、やっぱり私は恵まれた子だな、と思って、おもむろに感謝した。そして、自分も誰かの感謝の一部であったならええなーと、恥ずかしいことも思った。

来年はもっとそういう人になれたらいい。少なくともそういう努力をしよう。よし、じゃーこれを来年の目標にしてしまおう。