2010年9月12日日曜日

詰め込み

たもはふつふつと怒っている。日本の教育制度に対して、またその先にある就職活動の慣行に関して怒っている。

日本の教育は詰め込み教育だ。意味の分からない式や記号を丸暗記して、自分ができうる最難の大学を受ける。詰め込みが悪いとは言わない、が、その先にそれを活用しうる機会が用意されていればの条件付きだ。

教育に対して憤慨したことはしばしばあるが、それが頂点に達したのは、自分が勤めていた予備校で起こったことだ。私は、アルバイト講師として、小学生、中学生を2年間指導した。伸びていく子供を見るのは楽しいし、アルバイトとは思えないほどのやりがいと、充実感を持って仕事をしていた。ある日、私のやり方が常々気に食わない正社員講師の方が、若干喧嘩腰で話しかけてきた。一つの角が内側に凹んだ四角形を見せて、「森田さんなら、この角Aを出すために、どのように生徒に教えるの」と。私は、「これは形が異質に見えても、角を4つ持つ四角形の仲間です。ですから四角形の内角の和である360度から、他の角を引いて求めさせます。」と答えた。すると、その正社員講師は、わかってないなーという顔をした後に、「ここはね、実はここからここを引くと求められるんだ。」と勝ち誇ったように言った。

確かに、計算の回数は少なく、早く求められるようだ。しかし、なぜそうなるのかを説明するには、その学年では習わない、補助線を用いた証明の理解が必要な解法だった。その旨を正社員講師に伝えると、解ければいいのだ、という回答が帰ってきた。両方教えてはどうか、と私が言うと、このレベルの生徒はたくさん解法を知っていると混乱するからやめたほうがいい、とのことだった。

本質を教えない、日本教育の崩壊を目の前で見たようだった。解ければいいのだ。解けて、望んだ学校に受かればいいのだ。従順な生徒は、一見万能な、しかし理解不能な公式を喜んで丸暗記し、応用の限界に達して、壁にぶち当たる。そんな生徒は、果たして望んだ学校に受かりさえするだろうか。ましてや、この予備校はその後の生徒の成長など考えてもいないのか。

できるだけ本質を生徒に理解して欲しいという信念の下、指導してきた。本質を得た生徒は、応用の幅が広いからだ。私も予備校に通ったが、小、中学時代は、良い講師に恵まれた。詰め込みでなく、興味に忠実に答えてくれる先生に出会った。ここは試験に出ないから、と話を止めることなく、私たちが納得するまで、一緒に「研究」してくれる先生方は、最高の学びの場を提供してくれた。本来、学習とはそうあるべきでないのか。ここの仕事を辞めた理由は他にもあったが、これは大きな理由の一つだ。

そういった教育の延長に、日本の就職活動があるとおもう。選択形式のパズルや、性格判断テスト、そして、それを切り抜ける「裏技」テキストの流行。将来におそらく全く必要ないテクニックを得るために、迷える大学生は惜しみなく時間とお金を使う。詰め込みに慣れすぎた日本人の成れの果てか、と自分自身取り組みながら、不意にむなしくなった。先に繋がらない努力というのは、人に無力感を与えると思う。

就職活動に振り回されることを極力避けたい。それは、受験戦争の反芻のようで虚しすぎる。学生の本分は勉強で、それも興味に忠実な勉強である。自分の将来のため、本当に役に立つ勉強に時間をもっと、もっと割きたい。ただ、こんなことを言っていても、就活が激化するに連れて、やはり他の日本人同様、企業に振り回されるのだろうな。



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