中国に行ったときは、自分の中に目標があった。もちろん中国語をちゃんと勉強すること、現地の人といっぱい話をして、中国人ってなんやろうを知ること。どっちもできた。どれくらいできたか、というとしばかれそうやけど、でも、自分が結構満足できるくらいまでできた。あとは継続である。
加えて、自分は社会人になる前の非常に意味のある時間でもあった。中国にいる間、時間が過ぎるのが本当に怖かった。理由の一つとして、中国の時間が心地よくて、この時間が過ぎ去ることが怖かった。また、中国での時間の経過は、社会人へのカウントダウンである。そこからくるプレッシャーが、毎日まるで手が届くがごとく感じられた。しかし、中国での経験が、ある意味自分を後ろから押してくれていると感じるようになる。
一つは、自分は早く向こう側へ行かなければ、という気持である。向こう側という時の境界線は、消費者から生産者の境である。生まれてから今まで、自分はずっと消費者である。もちろんアルバイトはいっぱいしたことあったけど、それは責任を伴った生産者への転換ではない。よく言う言葉を借りると、一社会人としての役割を果たすことである。映画館でチケットを切る人、町の掃除のおばちゃん、明らかに私より一回り若いホテルのスタッフだって、みんな社会の自分の役割を果たしている。色々な人に会うことで、私はそろそろそっちに行かなければ、という気持ちにしてくれた。
もう一つは、人生はとっても柔軟だと気づいたことである。古い友人に中国で沢山会った。本当に、みんな私と年も変わらないのに、様々な人生を生きていた。本当に、自由である。ここでいう自由とは、毎日遊び暮らしている自由とは全く異なる性質のものである。所謂、柔軟性だ。日本には全く存在しないものである。日本は何をするにも競馬レースみたいだ。よーいどん、で同時スタートして、おんなじコースを走って、他より早くゴールしたら勝ちである。中国は違った。また、そういう生き方が羨ましかった。海外に行くたびに日本の特殊性が際立つのは、今回も例外でなかった。
本当にいろんな人に会った。そして、いろんなトラブルにも巻き込まれた。その都度いろんな人に助けられて、感謝した。そんな貴重な経験を忘れずに、今は割と前向きに準備を進められる。前を向けただけでもたもにしてみれば、十二分に中国へ行った価値はあったかも。
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