たもは、来た当初からずっと、友人をつくるのに必死だったといっていい。日本人のコミュニティ(JSAとこちらでは呼ばれている)には入らず、ひたすらにこちらでのコネクションを求めていた。もちろん来る前からそう意気込んできたが、来た当初のホームレス経験から、人的つながりをさらに貪欲に求めるようになった。パーティや集まりがたとえ知らない人の塊でも、果敢に何度もとびこんだ。これらは、こちらの人々にとっては普通のことかもしれないけれど。
ただ、最近、特に新年が明けてからふと立ち止まって考えるようになった。私はいったい何をしたいのだろう、と考えずにいられなくなった。正直、心地よく感じる関係に身を浸すことに罪悪感を感じ、とにかく前へ進むために貪欲に新しい出会いばかりを求めていたような気がしてならなかったからだ。そんなことを考えているうちに、ひとりの過去京大の留学生とSkypeで話す機会があった。とりとめのないことをたくさん話したが、その流れでこんなことを話してみたら、本当に私が、それほど多くのつながりをもとめているのか、と聞かれた。Facebookにただ加えるだけの友人は、果たして将来どれだけ私の人生に影響するだろうか、と。
いわれてみれば当たり前である。しかし、私にしてみれば衝撃的であった。今になって気づいたが、私の人的ネットワークの広げ方は、こちらでは日本のそれと比べてかなり過激であった。それを私はいつも楽しんでいたわけでなく、時につらいときもあったが、そういうものも留学の一部だと思ってひたすら勤しんでいた。彼、その京大での留学生は、私に言ってみれば大きな安心感を与えてくれたともいえる。もうそんなに頑張らなくてよい、といわれた気がしたからだ。気の合うひとと残ったときを過ごして何が悪いのか、と。
留学での友人関係とは非常に難しい。限られた時間であるために、できるだけ多くの人と知り合いたいとも思うし、一方で日本のそれと同じくらい深い関係にはやはり短い時間といえる。だからこそ、学ぶことも多いのか。
それは僕も最近思っていたことだよ。京大に来た当初はできるだけ留学生の友達を増やそうと頑張っていた。でも、みんなと同じように仲良くすることは本当に難しい。それ以後は、基本的に親しい(あるいは親しくなりたい)人と一緒にいる時間を大事にし、それ以外の友達は機会があればって感じにしてるよ。だから、タモもカナダで残りの時間は一緒にいて楽しいと思える人との時間を大切にしてな。
返信削除あたしとは逆の発想だね笑 あたしは最近人との交流に20%くらいエネルギーを上乗せすると生活がちょっと楽しくなることを発見したんだ。今もぼちぼち友人と数が増えつつあります。名前を覚えられないのが悩みの種だけどね~
返信削除でも友人の数が増えれば増えるほどメンテナンスが大変になるから結局選ぶよね。選択肢を増やすという意味で、前に出るのもいいことだと思う。
まぁなんであれ、お互い最後まで楽しみきろうね☆
hugz!
facebookの友人は爆発的に増えたんやけど、じゃあ本当にこれから付き合っていけそうな人ってどれくらいいるんやろ、と思うようになったんですわ。ちなみに、京大の留学生とはかの韓流スターです。なつかしい。
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